最短距離
大阪府在住 山本 達則
街角で頻繁に出会って、あいさつを交わすようになったご家族がありました。お父さん、お母さん、そして小学一年生ぐらいの男の子の三人のご家族でした。このご家族は台湾出身で、お父さんの仕事の関係で日本に来られていました。
そのご家族と出会う度に、しばらく談笑するようになっていました。男の子はとてもおしゃべりが好きで、そのほとんどの時間は、男の子と私との会話でした。しかも、男の子は中国語で私は日本語。その両方を話すことができるお父さんが間に入って、通訳をしてくれるというのがいつもの風景でした。
ある日のこと。ご家族三人と顔を合わせ、いつもと変わらずにこやかにご挨拶して下さった後で、お母さんが子供に「これで好きなものを二つ買っていいから、あそこのコンビニに行っておいで」と言い、千円札を一枚渡しました。毎回私と子供との会話に終始していましたが、その日はお母さんが私に尋ねたいことがあって、子供をコンビニに行かせたようでした。
子供は大喜びで千円札を握りしめ、すぐ横のコンビニに走っていきました。その間、子供の姿を気にしながら、お父さんとお母さんと三人でお話をすることができました。
しばらくすると、男の子はコンビニの袋を持って、喜々として戻ってきました。お母さんが男の子に「何を買ったの?」とたずねると、男の子はコンビニの袋からアンパンマンのチョコレートを取り出し、お母さんに差し出しました。お母さんは「いいのを買ったね」と言って、「もう一つは?」と聞きました。すると男の子は袋の中から一本のお茶を取り出し、そのお茶を私に差し出しました。
私は驚きましたが、「ありがとう」と言ってそのお茶を受け取りました。私以上に驚いていたのが、お父さんとお母さん。二人は顔を見合わせました。それからお母さんが、「もう一つ、あなたの好きなものは?」と聞きました。すると男の子は、アンパンマンチョコと私にくれたお茶を、しっかりと指差しました。彼は自分の欲しいものを一つにして、私にお茶を買ってくれたのでした。
お父さんとお母さんは、もう一度顔を見合わせました。そして男の子を引き寄せ、二人で思いっきり抱きしめました。それから、三人で中国語で興奮気味に話しながら、コンビニに入っていきました。
しばらくして三人が戻ってくると、男の子はお菓子やジュースがいっぱい入った袋を持っていて、それを嬉しそうに私に見せてくれました。その横で、お父さんがまた少し興奮気味に、こう話してくれました。
「私の仕事は短期の海外出張が多く、その度に家族もついてきてくれています。でもそのために、この子は友達がなかなか出来ず、寂しい思いをさせてしまっています。だから、どうしても甘やかせてしまうことが多くて、自分よがりな子に育ってしまわないかと心配で、いつも夫婦で話し合っています。でも今日、妻に自分の好きなものを二つ買っていいと言われて、そのうちの大切な一つを使って、あなたにお茶を買ってきてくれたことが嬉しくて嬉しくて、またコンビニでこの子の好きなものをたくさん買って、甘やかせてしまいました」
本当に心あたたまる、いい場面に立ち会わせて頂きました。
私は、このご家族の様子を見ながら、神様が人間にかけてくださる思いも同じなのだろうと、ふと感じました。
もし、男の子が、自分の好きなものを二つ買った上で、そのおつりで私にお茶を買ってきてくれたのだとしたら、ご両親はどう反応したのでしょう。おそらく、それでもご両親は「気の利くいい子ね」と頭をなでながら褒めてあげたと思います。しかし、袋いっぱいのお菓子やジュースを買ってあげるまでには至らなかったのではないか、と想像しました。
お母さんから「二つ」と言われたうちの大切な一つを使って、私にお茶を買ってきてくれたことが、お父さん、お母さんを飛び上がるほど喜ばせ、袋いっぱいのお菓子というご褒美につながったのだと感じました。
私たち一人ひとりには、願望も欲望も、さらにはそれぞれの夢もあります。それを叶えるために日々努力をしながら、目の前の現状と向き合い、生活をしています。
そこをもう一歩踏み込んで、人に喜んでもらうために、自分の大切なものを差し出したり、自分の望みを叶えるための大切なものを我慢したり、後回しにしたりすること。それが、実は、自分自身の幸せに向かうための「最短距離」ではないかと、このご家族との出会いで強く感じさせて頂きました。
家業と親への孝心
明治十五年、兵庫の冨田伝次郎さんが、息子の病気をたすけられ、はじめて教祖のいらっしゃるお屋敷へ帰らせて頂きました。
教祖は、伝次郎さんの家業をお尋ねになり、「はい、私は蒟蒻屋をしております」と伝次郎さんが答えると、「蒟蒻屋さんなら、商売人やな。商売人なら、高う買うて安う売りなはれや」と仰せになりました。
ところが伝次郎さん、どう考えても「高う買うて、安う売る」の意味が分かりません。そんな事をすれば損をして、商売にならないではないか。そこで、信心の先輩に尋ねたところ、「問屋から品物を仕入れる時には、問屋を倒さんよう、泣かさんよう、比較的高う買うてやるのや。それを、今度お客さんに売る時には、利を低うして、比較的安う売って上げるのや。そうすると、問屋も立ち、お客も喜ぶ。その理で、自分の店も立つ。これは、決して戻りを食うて損する事のない、共に栄える理である」
こう諭されて、伝次郎さんは初めて「成る程」と、得心したのです。(教祖伝逸話篇104「信心はな」)
さて、この逸話には、もう一つ大事なお言葉があります。「高う買うて安う売りなはれや」と仰せられたあとに、教祖は続いて、「神さんの信心はな、神さんを、産んでくれた親と同んなじように思いなはれや。そしたら、ほんまの信心が出来ますで」と諭されたのです。
この時、伝次郎さんは、遠路はるばる、76歳になる母親を伴っていました。そんなこともあって、教祖は商売と親孝心のお話をされたのかもしれません。
親への孝心の延長上に、親なる神様への信仰がある。そして、自らも親の心にならい、子供を親身になって世話をする。それはとても手の掛かることであり、一見損なことのようにも思える。しかし、そこを決して損と思わずに喜んで行うことは、子育ての大切な姿勢であり、また商売人としての生き方の神髄でもあることを教えられたのです。
この道の信仰を持つある経営者は、こう述べています。
「親は子供の世話ばかりして、ろくに面倒もみてもらえず死んでいく、こんな損な役割はない、などとぼやく人がいますが、とんでもない話です。人は、子供に面倒を見てもらうために、育児に熱中するのではないのです。楽しみながら、子供に手をかける。『損の道』も、じつは損をしていると思ってやっているうちは、理解が足りないのであって、『損の道』を損と思わない、むしろ喜べる心になってホンモノといえるのでありましょう」
親にとって手間暇のかかる育児が、大きな喜びであるように、苦労して商売をする「損の道」を歩むこともまた、商売人としての大きな喜びとなるのです。
「おかきさげ」の中に、次のような一節があります。
「日々には家業という、これが第一。又一つ、内々互い/\孝心の道、これが第一。二つ一つが天の理と諭し置こう」
家業と孝心の道は、「二つ一つ」であるということ。信仰を生かした商売のあるべき姿を、教祖はお示しくだされているのです。
(終)