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#精神科医 #益田裕介 #オンライン自助会
00:00 OP
04:55 ホモソーシャルとは
09:44 昔における女性
11:49 どういう構造か
14:54 女性が働きやすい社会
16:47 実際の臨床
本日は「フェミニズム入門」というテーマでお話しします。
NHKの『100分で名著 別冊版 フェミニズム』というタイトルのものが出ていたので、これを参考に動画を撮ります。
早稲田の本屋で売ってたんですよ。
なぜ精神科医がフェミニズムの話をするんだということですけど、これは避けて通れない話なんです。
男女差別の問題、女性が男性からパワハラをされる、セクハラをされる、場合によっては性的虐待を受ける、ということを理解していくためには、それらをカウンセリングしていくためにはフェミニズムという概念をやはり双方がしっかり理解しておく必要があります。
これを抜きにディスカッションしても、自分の意見や感想の言い合いみたいになってしまうので、そもそもどんなディスカッションを人類はしてきたのかということを僕らは学んだ方がいいんですね。
学んだ上で、じゃあ自分の問題はどうなんだろう、ということを考えた方が治療の成果は出やすいんです。
なので、フェミニズムのことを知ってもらいたいということで、動画を撮るということです。
エッセンスはちょこちょこ出してはいるんですけど、まとめて話したことはあまりないので、今回話してみようかなと思います。
と言いつつ、どういう風に話せばいいのかが結構難しかったので、臨床的な観点からフェミニズムに関係する部分を抜き取って一緒に考えていけたらなと思います。
人間の心や社会、人間関係というのは目に見えないものなので、言葉を名付けることによってでしか可視化できないので、一緒にその名付け方を学んでいけたらなと思います。
今の若い人たちにとっては、男女差別や男尊女卑は古臭い言葉のように見えるかもしれませんが、うちの親の世代くらいは全然ありますね。
女の人は男の人を立てるべきだみたいな、男は家事をしないみたいな、普通にありましたね。
今もいるかもしれないし、僕の同級生の、こういうことを言うと偏見を生みそうですけど、あえて言いますけど、いわゆる九州男児系の人たちは、どこかそういう空気がありました。そういうものなんですよ。
でも、もう時代が変わってきていますから、そういう意識は減っていると思いますが、ついこの前まではやはり男女差別は全然普通にあったということです。
フェミニズムとは何かというと、男女平等にやっていこうよ、女性を男性からの抑圧、差別から解放していこうよ、という運動や考え方になります。
1946年に女性の参政権が認められて、男女雇用機会均等法についても1985年なんです。
こういうことが法律として明文化されたのは本当につい最近という感じですね。
とはいっても、日本は先進国の中でも女性の社会進出はかなり遅れているので、引き続き男女差別を減らし、女性が社会で活躍できる世の中を作っていかなければいけないなと思います。
どういう風に説明していけばいいのかというのがちょっと悩むんですけど、ちょっと思いつくままにホワイトボードに書いたんですよ。
この本の中で一番最後、上野千鶴子先生がイブ・K・セジウィックの『男同士の絆』という本を紹介していたんです。
この本自体が1985年の本なんですけど、そこでホモソーシャルという概念をセジウィックという女性の作家は出します。
このホモソーシャルという概念から一緒に考えていけたらなと思います。
■ホモソーシャルとは
ホモソーシャルとはどういう概念かというと、男同士が集まって性的な関係抜きで絆を作ったり、一緒に頑張っていくような社会のことです。
ホモなので、別に女同士でもいいんですけれど、人類というのは権力とか政治力、武力というものは、男性が支配してきました。
歴史の本を読むと、だいたい男の人が出てきます。
それはなぜかというと、政治、権力、武力を独占してきたのが男性だからです。
男性のホモソーシャルの繋がりが作ってきたからなんです。
なかなかそこに女性が入り込むことができなかったという背景があります。
もちろん生物学的に女性には出産や育児、育児は男女でできるかもしれないけど、出産というハンディキャップがあったのと、単純に体力や腕力が弱いので、政治の舞台には脅しだったり、殴り合いのケンカだったり、そういうものが絡んでくるので、そこに女性が入っていくことはなかなか難しい。
かつ、一度ホモソーシャルの社会ができてしまうと、女の人というのは道具のように扱われてしまいがちなんです。
例えばホモソーシャルな社会では政略結婚が行われるのですが、政略結婚の道具としてしばしば女性は道具のように扱われてきた背景があるんです。
女の人は道具のように扱われているので、いくら優秀でもなかなか活躍させてくれないんです。
人種差別の問題と似ていますよね。
いくら優秀であっても、人種差別の下では人種が違う人が活躍できない。
身分制度も昔はありましたから、身分制度の中ではいくら優秀であっても身分が低い人は活躍できなかったというのがある。
それと同じように、一度そういうシステムが出来上がってしまうと、別のシステム、別の社会、グループの中にいるメンバーというのは、参加して活躍することはできなくなるんです。
長い間男性中心のホモソーシャルな社会ができていたということです。
このホモソーシャル、男性同士の中でヒエラルキー構造があるんです。
強い男性と弱い男性、そしてもっと細かい順位付けがあったりします。
外科の医局とかめちゃくちゃわかりやすいんですけど、ランキングがあるんです、男性同士の繋がりにも。
防衛医大も寮生活だとありましたね。ヒエラルキーが高めの生徒もいれば、僕みたいにヒエラルキー低めのやつもいるという感じです。
高い人たちというのは、やはり人間関係、政治的な人間関係が得意だったり、複雑なコミュニケーションを取りながら絆を深めたり、そこを上手くやれない人とか、我慢が弱い奴を弾いたりして構造を作っていくというのがあります。
これは独特な人間関係や政治的な関わり合いというのがあったりします。
コミュ力が低い人というのは、やはり必然的に下の方に追いやられてしまうというのがあったりします。
もちろん、それを突っぱねるほどの特殊な外交テクニックがあったりもしますけど、だいたいはそうです。
顔色を見すぎないというのも大事だったり、ある場面では顔色を見るというのも大事だったりするんですけど、色々ありますね。
強い男性というのはまたモテるわけです。
女性を独占したり女性を集めることができる。
一人で、何人も女性を抱えることができるというのは、昔はありましたね、少なくとも。
現代ではなかなか結婚できないとか、付き合うことができない人たちがいるので、一人が独占するというよりも単純にパートナーを作れない人たちが出てきているというのが今の社会なのかなという気がします。
これがホモソーシャルという言葉の理解ですね。
強い男性と弱い男性がいるのということがわかりました。
■昔における女性
では、昔において強い女性、弱い女性はどうだったのかというと、強くて自立した女性というのは活躍する機会がなかったんです。
なかなか持つことができなかった。
どうやって社会的に強い立場になるかというと、ほとんど運だったんですよ。
身分制の問題と、強い男性に気に入られるか気に入られないかだけでしかなかった。
多くの女性は、弱い立場を強いられていて、男性の道具にされてしまっていたということがあります。
現代においては働き手が減ってきているのもあるし、頭脳労働が中心となっているので、必ずしも腕力というか力が必要なくなってきているんです。
強い体力も必要なくなってきている。
理念だけじゃないですよ、美徳だけじゃなくて、そういう意味からも女性をどんどん取り込んでいって頭脳労働をさせたいんですよ。
頭脳労働をする人が基本的には富を生み出しやすいので、現代の構造上、強い女性というのは仲間入りさせられるようになってきているというのがあります。
その中で弱い男性というのは怒りがあるんです。虐げられているという怒りがあります。
だけどこの怒りが同じ男性に向かうよりは、むしろより自分たちより立場の弱い女性たちに向かうことがよく知られている。
そういうのをミソジニーとか言ったりします。
あとは女性同士の中でも闘いとか足の引っ張り合いとかがあったりしているというのもあります。
例えば母親が娘をいじめてしまう場合、抑圧する場合というのがありますよね。
あんたは女なんだから我慢しなさいとか、そういうのもあったりするかなという感じです。
■どういう構造か
実際はどういう構造かというと、こういう構造になってしまってます。
益田の私見も入っていますが、強い男女、いわゆる賢い人たち、そして我慢強い人たち、つまり受験勉強というつまらないものを我慢できる人たちが上の方に来る。どこの国でもそうですよ。
そうじゃない人たちが下に強いられているという感じです。
ここでは同性愛は許されるけど、不倫は許されないという社会になっているんです。
つまり、引っ張ってきているんです。
昔はホモソーシャルの関係の中では不倫は許されるけど、同性愛は許されなかったんです。
男同士で性的な関係を持つと秩序を乱してしまうわけです、ここの秩序を。
だから性的な欲望を男同士は持たないようにして、女性だけに持つように強いていたわけです。
だけど今日では、同じ仲間なので同性愛は許されるんだけど、同じ仲間として恋愛関係になることは許されない。
つまり、不倫は許されないという社会に変わってきているという感じですね。
でも、ここにいる人は我慢強いからできるんだけれど、そうじゃない人たちにとってはキツいわけです。
我慢ができない人たちは甘えているという風に言われたりとか、あとはミソジニーの対象になったりします。
結婚・恋愛ができない人たち、モテない人たち、いわゆる非モテから、不倫をしている人たち、いわゆる中間的な人たちが攻撃の対象になったりしているというのもあります。
あと弱い男女の中には売春は許されるのかという問題が出てくる。
つまり、弱さゆえに稼げないんです。
稼げないから自分を売るしかないんだけれど、そうすると強い女性たちから、そんなみっともないことは同じ女なんだからするな、という攻撃の対象にもなったりする。
でも、自分たちはどうやって生きたらいいのというと、階級の中で格差と分断の中では提示してくれないし、いやお前はもっと我慢して生きればいいんだよ、私たちみたいに我慢しろ、みたいな形になって、我慢できないから甘えてるんだろうみたいな言われ方もしちゃう。
だけど我慢できる能力は人それぞれ全然違います。
生まれ持ったものもあれば、環境の問題、トラウマの問題で我慢できるレベルは違う。体力的な問題もありますし、そういう意味で分断されているというのがあるのかなと思います。
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