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『三代目 市川左團次』宇野信夫&山川静夫 小山觀翁撰集

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「思い出の芸と人」 1977昭和52年11月11日収録。 懐かしい宇野信夫さんの、綺麗な江戸風のお話を、 山川さんが含蓄ある素養で引き出してゆきます。 お二方とも、父 觀翁の恩人でもありますので、 左團次の芸もさることながら 芝居が好きな方々の会話の見本 を保存する意味で、 この撰集に このあたりでアップしておきます。 因みに、 山川静夫さんがNHKの看板アナウンサー であった頃、 父 觀翁が電通をやめて 自費出版した『観客の藝談』という最初の著書を 読んで、ご連絡をくださり。 イヤホンガイドをはじめる前に、 マスコミデビューさせてくださった 父にとっては恩人です。 少なくとも、中学生だったわたくしは そのようにみていました。 ********************* 三代目 市川 左團次(さんだいめ いちかわ さだんじ、1898年(明治31年)8月26日 - 1969年(昭和44年)10月3日)は、大正から昭和中期の歌舞伎役者。屋号は高島屋、定紋は三升みますに左、替紋は松皮菱まつかわびしに鬼蔦おにづただが、通常は替紋の方を使用した。俳号に新車。本名は荒川 清(あらかわ きよし)。東京府出身。 初代市川左團次から二代目市川左團次と相伝された男性的な力強い芸風とは大きく異なり、江戸っ子で門弟から芸一筋で出世し門閥の養子として大名跡を襲名した三代目は、様々な役割を器用にこなしながらあくまでも脇に徹する手堅さを持ち、苦労に裏打ちされた存在感のある独特の風があった。戦後歌舞伎を盛りたてた名優の一人である。 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』 ********************* 宇野信夫 うののぶお(1904―1991) 劇作家。東京生まれ。慶応義塾大学国文科卒業。1933年(昭和8)に発表の『ひと夜』が同年築地(つきじ)座で初演され、劇作家としてデビューした。35年『吹雪(ふぶき)峠』が2世市川左団次、『巷談宵宮雨(こうだんよみやのあめ)』が6世尾上(おのえ)菊五郎で初演され、以降はもっぱら新作歌舞伎(かぶき)の作家として活躍した。とくに江戸市井(しせい)の生活に素材をとった世話狂言は菊五郎の名演と相まって評判をとった。第二次世界大戦後はラジオ、テレビ、また商業演劇の作品も書き、自ら演出している。古典の現代化にも積極的で、53年近松の『曽根崎(そねざき)心中』を脚色、演出し、大成功を収めた。72年芸術院会員、85年文化功労者。 [水落 潔]出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) ********************* 山川 静夫(やまかわ しずお、1933年〈昭和8年〉2月27日 -  )は、 日本のフリーアナウンサー、芸能評論家(特に歌舞伎)、 エッセイスト。元NHKアナウンサー。 来歴・人物 1933年2月27日、現在の静岡県静岡市葵区梅屋町で静岡浅間神社神主の家に生まれた。1951年、静岡県立静岡城内高等学校卒業[2]。国學院大學文学部卒業。日本の伝統文化に興味があり、國學院大學在学中から歌舞伎の声色が得意で、ニッポン放送の歌舞伎番組に出演していた経験を持つ。中村勘三郎 (17代目)、中村歌右衛門 (6代目)、吉田玉男、吉田簑助など古典芸能の名人たちと親交を深めている。また、義父の飯島忠が安藤鶴夫と育英小学校で同級生であることを通じての親交もあった。 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

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