奇談クラブの集会で語られる、ある富豪の異常な体験。破滅的な画家・巽九八郎が競売にかけたのは、家具や衣類だけではなかった――最後の品は、美しい踊り子・巽妙子。その体から発せられる甘美な香りに魅了された男は、彼女を一万円で「買う」。しかし、それは常識では計り知れない運命の始まりだった。
奇妙な芳香、狂気の愛、そして呪われた絵画。やがて妙子は、まるで香水のように忽然と姿を消す──。
野村胡堂が描く、耽美で妖しい奇譚の世界へようこそ。
【野村胡堂のプロフィール】
野村胡堂(本名:長一(おさかず))は、1882年(明治15年)10月15日、岩手県紫波郡大巻村(現:紫波町)に生まれました。父は村長を務めた野村長四郎で、幼少期から『三国志』や『水滸伝』などに親しみ、文学への情熱を育みました。盛岡中学校(現:盛岡第一高等学校)では俳句結社「杜陵吟社」を結成し、文学活動に熱中。同級生の金田一京助や一学年下の石川啄木らと深い交友を持ちました。
東京帝国大学法科大学へ進学しましたが、父の死により卒業を目前に退学。その後、報知新聞社に入社し、社会部長や学芸部長を歴任。新聞記者として31年間活躍しました。昭和6年には『文藝春秋オール読物』の創刊に際し、依頼を受けて「銭形平次捕物控」を執筆開始。庶民の人情を温かく描きつつ、善意の下手人を逃がす「しくじり平次」の物語は好評を博し、昭和32年までに計383編が発表されました。
また、「あらえびす」のペンネームで音楽評論家としても活躍。クラシック音楽の普及に努め、約1万枚のレコードを収集するほどの愛好家でした。後年、そのレコードは東京都を経て、故郷の紫波町に設立された「野村胡堂・あらえびす記念館」に返還されました。
昭和33年には『銭形平次』を主題とした功績で菊池寛賞を受賞。昭和35年には紫綬褒章を受章し、昭和38年4月14日、肺炎のため逝去しました。生涯を通じて新聞記者、大衆文学作家、音楽評論家として多方面で活躍し、後世に多くの業績を残しました。
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