「反対車」
今川橋で赤ゲットにくるまり、居眠りをして客待ちをしている人力車の車夫に声を掛け、万世橋から上野駅まで行ってくれと頼む。汚くて今にも壊れそうな車で梶棒に提げた長い提灯は近くの稲荷神社から盗んだもので車屋自身も心臓病で入院しており医者の制止も聞かずに治療費のために働いているという半死半生。終列車の時間が迫る中、別の若い車屋に「北へ行ってくれ」と頼む。まだ乗っていないのに走り出してしまうほどの威勢のいい車引きで・・・
十代目 桂 文治
早くから噺家志望であったが、軍需工場工員を経て1944年に召集令状を受ける。終戦後日本に帰国後の1946年6月、2代目桂小文治に師事し父の名であった柳家小よしを名乗るが後に師の亭号が桂だったために桂小よしに改名。1948年10月、2代目桂伸治に改名し二つ目昇進。1958年9月真打昇進。1979年3月、亡くなった9代目桂文治の盟友である8代目林家正蔵(後の林家彦六)の推薦で10代目桂文治を襲名。桂派宗家となる。1999年9月、4代目桂米丸の後任で落語芸術協会会長就任。正調の江戸弁を大切にしていた噺家であった。
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