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立川志らくさんの俳句集 プレバト俳句

ヒッチ俳句 6,485 lượt xem 1 year ago
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◆今回の俳句
00:00 南無(なむ)の空光に見えしチューリップ
00:55 ガンジーのような足が出る砂日傘
02:01 婆やは蜜柑食べ続ける妖怪
02:44 梅雨明けやモジリアーニの歩く街
03:51 色変えぬ松や渋沢栄一像
05:00 冬の蚊の申し訳なさそうなふう
06:24 ねずみもちの花溢れ宅配ピザ乱れ
07:26 三ツ矢サイダー三島由紀夫の覚悟
08:37 今日も空蝉を拾らふだけの朝か
09:57 《首つりの家》には林檎は無いのか
11:22 冬の路地裏に昭和が捨ててある
11:48 影のような野良犬に桜ながし
13:25 清貧の菓子屋青簾に忌中
14:24 忘れ物を探しに菜の花を行く
15:16 もうちょいと生きてみるよと豆を撒く
#立川志らく

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momodenalu@gmail.com

#プレバト #俳句 #季語

◆一部文字起こし
立川志らくさんの俳句を紹介します

南無の空 光に見えし チューリップ
これは立川志らくさんがプレバトの中で一番最初に詠んだ俳句です
季語は晩春の季語「チューリップ」ですね
チューリップの咲く春
立川志らくさんが小学校の入学式でまるで仏門に入るかのような心持ちで入学式に臨んだという意味の俳句だそうです
夏井先生は「チューリップが光に見えてしまう」といった読みを与えてしまうこちらの表現をこんな風に変えていました。添削後
南無の空 ひかりとなれる チューリップ
光のかな表記も新入生である感じを出している気がします

ガンジーの ような足が出る 砂日傘
季語は晩夏の季語「砂日傘」です
ビーチパラソルのことですね
ガンジーのようなという比喩の表現が面白い俳句かなあと思うんですが
夏井先生は五七五にしましょうということでこのように添削されました
ガンジーの ような足出る 砂日傘
立川志らくさんの俳句というと個人的には破調のイメージがとても強いんですけれども五七五で勝負しているわけです
先ほどのデビュー作は50点となり凡人となってしまうんですがこちら4つ目の俳句
2回目3回目4回目は連続で70点以上の高得点を出しこの俳句で特待生に昇格する訳です
王道でも強い。それが立川志らくさんなんですね

婆やは 蜜柑食べ続ける 妖怪
季語は三冬の季語「蜜柑」になります
俳句の意味は立川志らくさんの祖母=おばあちゃんが無性にみかんを食べ続けてたらしいんですね
その姿が子供心ながらに怖かったと妖怪みたいだったということで詠まれた俳句だそうです
こちら494の17音の破調の俳句なんですが後ほどこの17音の破調というのが志らくさんらしいという風に夏井先生に評されるまでになります
その片鱗が見える俳句になっていますね

梅雨明けや モジリアーニの 歩く街
季語は晩夏の季語「梅雨明」になります
俳句の意味は梅雨明けの銀座を歩く女性はモジリアーニ作品の首長な女性のようだとしました
アメデオ・モジリアーニという肖像画を得意とするイタリアの画家・彫刻家の作品と梅雨明けという季語を取り合わせているわけです
また上五で「梅雨明け」「や」季語+切れ字
そして「モジリアーニの歩く街」と12音足すという基本の型を押さえた俳句として夏井先生から
「堅実な攻め方だ」っていう風に言われることになります
都会のおしゃれな感じも出ていますし憂鬱な場面というのにも見える
そんなイメージの距離感が丁寧にうまくできていると夏井先生は評価していました
まだまだ基本の形は変えずに攻め続けている立川志らくさんです

色変えぬ松や 渋沢栄一像
季語は晩秋の季語「色変えぬ松」です
常緑樹である松は単体では季語になりませんが「色変えぬ松」ですと他は紅葉してるのに松だけは緑だという対比から秋の季語とされるんですね
この俳句ではこの色変えぬという様子が強調されて表現されています
俳句の意味は色の変わらない松に囲まれる若き日の渋沢栄一像がある
今も変わらず引き継がれる思いに浸るとさせていただきました
色を変えない松と色褪せない渋沢栄一の業績というのを重ねて詠んでるわけですね
今回も五七五なんですが句またがりを使ったり動詞など余計なものを含まない取り合わせの技法を使ったりと
より表現力に磨きがかかっているといった感じですね
この俳句で名人初段へ1ランク昇格することとなります

冬の蚊の 申し訳なさそうなふう
季語は三冬の季語「冬の蚊」です
冬の蚊で季語なんですね
冬の蚊というのは夏や秋の蚊のように人を刺す生命力の少ない
だけど陽気につられてやってきちゃったっていうような蚊のことらしいです
その様子と申し訳なさそうっていう擬人化の表現が相性がいいなあと思ってうまいなあと思いました
ただ夏井先生はあと少し映像が欲しいということでこんな風に添削を考えられていました
冬の花の申し訳なさそうに 寄る/鳴く/刺す
など動詞の一足しということですね
このようにすると飛んでるのか止まってるのかどんな風なのかっていうことが具体化されて
申し訳ないという記述とあわせて表情まで伝わってきそうな俳句に変わりました
さここまでが五七五を守った立川志らくさんなんですけども
ここから怒涛の破調ゾーンに突入します
全部で61個の俳句を詠まれているんですが今ので29個目ですね
なので前期後期と分かれるとするならばこの辺を起点(境)に破調にどんどん寄ってくといったイメージを私はもちました

ねずみもちの花溢れ 宅配ピザ乱れ
季語は三夏の季語「ねずみもちの花」です
俳句の意味はねずみもちの花は溢れるように咲いている
届いたピザは崩れているとさせていただきました
意味は関係ないんだけれども似合う気がする
俳句の言葉で「付かず離れず」といった言葉が合う俳句だということで夏井先生は評価していました
ねずみもちの花が溢れていることはプラスの意味ですよね
一方で宅配ピザが崩れているのはマイナスなことです
溢れ・乱れの韻を踏む工夫なども見られて前半と後半を対比していることが伝わります
そういった表現から全く無関係な二つの取り合わせなんだけれどもなぜか似合う
それを「付かず離れず」というんですね
この俳句で名人2段へ1ランク昇格することとなります

今日も空蝉を拾らふだけの朝か
季語は晩夏の季語「空蝉」です
俳句の意味はやることのない老人が
今日の朝も空蝉を拾うことしかやることがないなぁ
と言っているその様子を詠んだそうです
夏井先生は「も」「だけ」「か」という言葉から人物を描けているというふうに評価するんですね
「も」「だけ」でかわり映えのしない毎日・やることのない日々そういったものが表せています
そして最後の「か」詠嘆で終わることで空蝉のようにもぬけの殻そんな精神状態・心持ちというのが表現できているとするわけです
実は前回の昇格が2020年7月2日さっきのサイダーの俳句なんですけれども
今回2021年8月19日。1年以上間を空けてるんですね
ここまでいろいろな変化球を投げ続けて投げ続けて夏井先生に響かずといった日々だったんですが
1年以上の歳月を経てやっと評価されてこの俳句で名人4段へ1ランク昇格することになります
志らくさんも試行錯誤して今の地位にいるということですね

〈首吊りの家〉には 林檎は無いのか
季語は晩秋の季語「林檎」になります
セザンヌの作品「首吊りの家」を見て林檎が描かれていないと思った記憶を詠んだ俳句だそうです
意味は首を吊るような家には林檎のようなものはないのだろうかとさせていただきました
名人席に座っていた東国原さんから絵の中の林檎なので季語としての力がどうなのかという指摘を受けていました
夏井先生は秋の季語の林檎というよりも幸せな一家や家庭の象徴としての役割が強いとして評価していました
首吊りの家という言葉に対する邪悪なイメージ
それと林檎のもった家庭的なイメージなどのポジティブなイメージを対比させることで
首を吊った家庭の痛ましい日々なんていうのも表現できていて最後の「無いのか」という詠嘆でそれがより強調されているということでした
セザンヌの「首吊りの家」を知っているかいないかに関わらず
同じ読みに寄っていくため作品として成功しています

冬の路地裏に 昭和が捨ててある
お題「肉まん」で詠まれたんですが
俳句の意味は冬の路地裏に肉まんの台紙が捨ててある
その様子を見て昭和はこんなところに残っているのかとつぶやいた俳句になりますね
昭和が捨ててあるなんていう表現やってみたいなという感じなんですが
この俳句で名人5段へ1ランク昇格することとなります

影のような野良犬に 桜ながし
桜流しというのは鹿児島地方の方言から広まった珍しい季語らしいんですが
桜が咲く頃の長雨で桜の花びらが流れている様子を桜流しというそうです
この俳句の意味はそんな桜流しの日に野良犬が歩いていたと
でその様子というのがとても絵画的で野良犬が一つの風景になってきれいに見えたそうなんですね
そんな様子を詠んだ俳句になります
こちら17音の破調になるわけなんですが
夏井先生はジャンルとしては完全に自由律の俳句だっていう風に解説されていました
また影のような野良犬そして桜流しが見られるほど雨が続いているその日
結構暗い空模様、暗いテーマなように感じますが
その中で桜という表現があるのでピンクもうっすら見えているよという絵のような作品ということで評価していました
春光戦。春の光のタイトル戦でこの「影のような」の作品が優勝することになるんですね
夏井先生も「これを1位にするのは少し勇気がいる」っていう風に言ってたんですが
「やろうとしていることはちゃんとできているため文句を言うわけにはいかない」と言って
他の明るい作品を抑えて優勝ということになりました
こちらがタイトル戦初制覇となります
初めての挑戦から約五年のことでした

清貧の菓子屋 青簾に忌中
季語は三夏の季語「青簾」です
竹でできた青い簾のことですね
俳句の意味は古い駄菓子屋の竹簾に「忌中」とあった
この店も最後なのだなあとさせていただきました
夏井先生は清貧のという修飾部分がいるのかどうかっていうことを言うんですが
菓子屋からすると清貧つまり貧乏だが清々しく過ごしていると記述することで小さなストーリーが生まれるっていう風に言うんですね
古くて流行らないんだけれども昔ながらのこだわりのある菓子屋が見えるとしていました
また青簾の青と忌中にイメージする白や黒というのが色彩的に鮮やかだっていう風に解説されていましたね
この俳句で名人6段へ1ランク昇格することとなります

忘れ物を探しに 菜の花を行く
季語は晩春の季語「菜の花」です
千葉県の小港鉄道。菜の花の中を走る鉄道ですね
その写真を見ながら作った写真俳句になります
俳句の意味は大切なものを喪失してしまった人が菜の花の中に忘れ物を探しに行くとさせていただきました
一面菜の花の情景の写真
そんな風景に現代人がなくしてしまった大切なものっていうのがあるんじゃないかといった思いが込められているそうです
そこの共感可能性の高さと写真とマッチする表現ということで
この俳句がお題の写真とあわさってポスターになり千葉県内に掲載されることとなりました

もうちょいと 生きてみるよと 豆を撒く
こちら立川志らくさんのプレバトの中での最新の俳句になります
これまで61個の俳句を詠んでいるということになりますね
これ珍しいですが五七五なんですよ
お題「節分」で詠まれたこの俳句
円楽師匠を思って作られた一句だそうです
夏井先生は追悼する俳句を作る時にはその人物の特徴を書いた方がいいということでこんな風に添削されてました
もうちょいと 落語/笑いに生きん 豆を撒く
前半は王道を行って名人になり名人になってからは句柄を模索しながら破調の俳句またそれが嫌にならない表現方法っていうのを磨き続けてきた立川志らくさんの俳句の系譜が見えたそんな感想をもちました

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