実は、和の発声法のお稽古に一番来るのは僧侶の人たちです
(1)「声の質」が命運を分ける
00:27 「あなたの声をずっと聞いていたい」と感じてもらえることがとても大切
何を唱えているかの前に、自分の声や存在でその場や空間を作る必要があるのが僧侶
その人の声を聞いて、「いいお経が聞いた」「ありがたい」と思ってもらえるかが勝負
01:15 「大切なのは声の質」
僧侶の方だけではなく、声に取り組む全ての方に知っていただきたい大切なことです
01:25 僧侶と日本の伝統音楽の共通点
僧侶が唱える何かは日本の伝統音楽の構成と似ており
「シンプルな楽器の音(音色)」「節」「間」「声の質」で構成されています
一方「メロディー」「リズム」「ハーモニー」+「意味の理解できる歌詞」を音楽として教育されてきた現代の日本人にとっては、僧侶の唱える何かや日本の伝統音楽は異質で馴染みがないと感じられるでしょう。また、一般的には「お経や呪文」なほとんどの人に理解できません。
僧侶の唱える何かは、音楽とは認識しにくい。そのため、「声の質」がそのものが問われる。
「声の質」次第で、聞いている人が苦痛に感じたり、退屈します。逆に「声の質」がよければ、素晴らしい何かを体験したという心境になることもあります。
04:37 「声の質」で勝負できないとエンタメに逃げる
日本の伝統文化の本質がわからない人が安易に行うことが、伝統芸能のエンタメ化です。
メディアが取り上げてくれるウケる手法を学習し、それを伝統芸能や伝統文化に安易に取り入れ、他人の注目を集めることを伝統芸能のエンタメ化といいます。これは僧侶の世界でも同じように起きています。伝統文化の「形骸化」ともいいます。
結果、人が離れていく。自分の中の違和感が溜まっていく。
06:15 なぜエンタメかを追いかけるのか
作為をもって自己利益を追求する→小手先
この時の声の質に表現されるのは、重心の高さ、単調さ、軽薄さ、上辺だけ、仮面っぽさ など
「する」のではなく「しない」が大切です。
「する」と「しない」の両立が稽古で取り組むことの1つです
「声の質」にとって大切なことは、「どのようにあるか」です
声の質は稽古や修行、行為の蓄積が結果として声に現れるのであって、意志を持って変えるものではありません。
(2)問題は伝統芸能と似ている
07:25 伝統文化の学び方の問題点について
問題は伝統芸能と同じ
発声に関する問題点の1つに口伝の弊害があります。
口伝は師匠の発声、所作、動作を見て聞いて真似て覚えることです。
しかし、それを具体的に伝えることを怠る師匠が多いという弊害もあります。
例えば、質問させてもらえない。質問すると怒られる。抽象的な表現で言われ、具体的な方法を提示してもらえない。昭和の根性論を押し付けられる。科学や新知見を軽視するという相談が多く寄せられています。理解できない自分が悪いと思わないでください。
奥深い口伝+言葉、概念、科学、新知見を併用して学ぶと深く学ぶことができます。
(3)本質は伝統芸能と共通している
10:00 僧侶の根幹は、「祈り」です。
あちらの世界とこちらの世界を繋ぐ。何かを鎮めるというお仕事が僧侶のお仕事です。
それは、三味線(特に津軽三味線)も共通することです。
伝統芸能の根幹にも「祈り」「魂鎮め」がある。そこに結びついた三味線・唄・発声をお伝えしています
12:18(4)「声の質」に取り組むこと
声の質、するとしない、祈り、伝統文化の構造。
このような抽象的なことを学ぶのが稽古です。
稽古とは・・・
テクニックは、頭で体をコントロールすること。例えばボイストレーニング。
スポーツならこのアプローチは有効
稽古とは、心身一如という捉え方をし、声の質や声の症状は結果と捉えます。
最初は体から取り組み、日本古来の体の使い方からアプローチします。
例えば、日本古来の身体技術、呼吸を深くする、丹田に重心を下げる。言葉では伝わりづらいことも、師匠との口伝で体得することができます。
また、和の発声法ではこれだけではなく、知識、心身、意識、技術トータルで取り組みます。
これができると、結果として声の質が変化していきます。
声の悩みの多くは、僧侶や伝統芸能に関わる人だけでなく、日本人なのに日本人に合う発声方法を学んだことがないことが原因です。
その人の声だけでなく、その人の佇まい、仕草、動作、姿勢全てが声にも現れます。
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