桂川駅(けいせんえき)は福岡県嘉穂郡桂川町大字豆田にあるJR九州の駅です。
筑豊本線を所属線とし、当駅を起点とする篠栗線を加えた2路線が乗り入れています。
駅ナンバリングについては、福北ゆたか線(筑豊本線・折尾方面、篠栗線)にJC11、原田線(筑豊本線・原田方面)にJG01とそれぞれ設定されています。
筑豊本線においてはこの桂川駅が運行上の境界駅となっています。
当駅から折尾駅方面は篠栗線と共に電化され、「福北ゆたか線」の愛称で一体運転が行われており、1時間あたり快速列車が2本、普通列車が1~2本と本数も多いですが、一方、当駅から原田駅方面は非電化で、「原田線」の愛称が付けられていますが、こちらは1日に普通列車が8往復のみの運転で極端に少ないです。
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の合わせて2面3線を有する地上駅です。
基本的には1番のりばを新飯塚・直方方面、2番のりばを原田線、3番のりばを筑前大分・博多方面が使用しています。
福北ゆたか線電化に伴う電車乗入れに際し非電化の原田線の発着に利用されている2番ホームも嵩上げされ、原田線で運行されている気動車では通常とは逆に車輛のステップよりもホームが高くなるような「逆段差」が発生することとなりました。
そのため、ホームには利用客に乗降時の注意を促す看板が設置されています。
2021年3月21日より新駅舎となり、私が訪れたのは新駅舎が供用開始となる約1週間前でした。
新駅舎は現在の駅舎を撤去して2階建てとなり、改札口は2階部分に設置されています。
田畑が広がる駅南側では国道200号からのアクセス道が整備され、駐車場などの広場も設けられました。
2019年度(令和元年度)の1日平均乗車人員は1861人でありJR九州の駅としては第99位です。
また桂川駅の特徴として駅舎に隣接して「コラボ倶楽部」というパン・菓子・飲料なども販売している電器店があり、改札内(1番ホーム)から利用することも可能です。
私も利用したことがありますが、その時は「コラボ倶楽部」の店の人に切符を見せて、そこから駅の外に出ました。
駅の歴史を見てみると、1901年(明治34年)12月9日に長尾駅(ながおえき)として九州鉄道が開設しています。
ですので、最初から桂川駅という名前ではありませんでした。
長尾駅の”長尾”というのは、隣の上穂波村字長尾の字名を取って長尾駅と付けられました。
桂川村に作られた駅なのに、何故、隣村の字名をつけなければならなかったのか?というと、九州鉄道は初め、当時この付近で人口の多かった上穂波村の中心、長尾まで線路を伸ばし駅を作ろうとしました、ですから終点の駅名は長尾駅で、その頃の線名は筑豊本線ではなく長尾線でした。
ところが線路の延伸工事中の1901年(明治34年)、長尾より少し手前の桂川村豆田で麻生太吉の豆田炭坑が開坑しました。
麻生太吉は九州鉄道の株主のため、そこで線路の延伸工事は止まり、駅はこの豆田炭坑の近くに作られることになりました。
本来なら上穂波村の長尾まで線路は伸び、そこに駅は作られる予定で、長尾の人たちは怒り狂ったそうです。
そして、長尾の人たちは「駅は桂川村に取られたが、この路線延伸工事は長尾駅までの長尾線だったんだから、駅名は意地でも譲らないぞ」と強硬姿勢をとり、とうとう九州鉄道は桂川村の駅なのに長尾駅と名付けたそうです。
ちなみに豆田炭鉱を所有し九州鉄道の株主でもあった麻生太吉は現在の副総理、財務大臣である麻生太郎の曾祖父にあたります。
また、桂川駅の周辺には王塚古墳という6世紀ごろ(501年~600年)に作られたとされている前方後円墳がありますが、この古墳の特徴としては壁画が装飾となっており、日本で確認されている装飾古墳の壁画で使われている色は6色(赤・黄・緑・青・黒・白)あるのですが、そのうち青を除く5色が使われており、国内最多であるそうです。
桂川駅から原田線の列車に乗ると終着駅は原田駅になりますが、原田駅の駅名標には五郎山古墳のイラストが描かれているし、筑肥線の筑前前原駅(糸島市)付近には6世紀以前に作られた古墳がたくさんあります。
少し足を延ばして佐賀県まで行けば全国的に知られている吉野ヶ里遺跡もありますし、福岡県を中心とした九州北部地方は中国・韓国から稲作が伝わるとともに、それぞれの地区に実力者がでて弥生時代・古墳時代はかなり栄えていたのではないかと連想させられます。
ブログもやってます。「九州の駅」
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#桂川駅#長尾駅#王塚古墳