武田と徳川の壮絶な鉄砲の撃合いのあった大井川を臨む遠江の山城は、牧ノ原台地に刻んだ空堀と半円形の馬出が特徴の城です。旧東海道金谷坂の石畳道を登るとビジターセンターがあります。
諏訪原城は、武田勝頼が1573年に築城した、甲斐と遠江を結ぶ戦略的に重要な城でした。徳川家康は、この城の南方15キロにある遠江の要衝、高天神城を1574年に武田勝頼により奪われ、奪還に心血を注ぎました。そのために、この諏訪原城を攻略する必要がありました。1575年に、諏訪原城を落とすと、大規模な改修、拡大を行い、高天神城攻略の足場とし、駿河方面の監視も行いました。
半円形の大規模な馬出(城の出入り口の外側に造った出撃前の兵士の溜り場かつ防御設備)は、当初武田氏が構築したと見られていましたが、発掘調査により、徳川氏が構築したことが分かりました。
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【タイムコード】
◆石畳道 : 1:52
◆ビジターセンター : 3:17
◆三日月型の空堀 : 8:15
◆薬医門 : 10:35
◆大井川の眺望 : 15:48
◆諏訪神社 : 19:20
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【諏訪原城跡】
◆半円形の大規模な馬出は、2か所かりますが、北側の馬出は、樹木が伐採され、更に北側に設置された小規模な馬出も含め、見通しが良く、深い空堀も含めて形状がとてもよく分かります。
◆武田氏が当初築城した範囲は、本曲輪とその南側にある小さな2つの馬出で、小規模なものでした。しかし、3方に崖があり、攻略しづらい城だったようです。
◆空堀は、数多くありますが、特に外堀と内堀は、深く大規模です。徳川氏により現在の形になりました。
◆JR金谷駅から、主に2本の登城路がありますが、石畳道が分かりやすく、歩いて面白い道なのでお勧めです。本数は少ないですが、金谷駅からコミュニティバスもあります。西の菊川、小夜の中山方面に東海道を進むのも楽しいと思います。
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【チャンネル】
@歩いて旅するにっぽん 城跡を歩く
歴史を紐解くことによって、往時の武士の息遣いや緊迫した雰囲気が感じられる場所を徹底リサーチして厳選の上紹介しています。
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【撮影機材】
◆iphone13Pro
◆GoPro HERO10 Black
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【編集ソフト】
◆PowerDirector 365
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動画の一部で、地理院タイルに地名・アイコン等を追記した画像を利用して配信しています。
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