1955昭和30年7月3日録音。
場所は不詳です。
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八代目 桂 文楽
大正・昭和期の落語家 落語協会会長。
生年明治25(1892)年11月3日
没年昭和46(1971)年12月12日
出生地青森県五所川原町(現・五所川原市)
出身地東京市下谷区根岸町(現・東京都台東区)
本名並河 益義
別名前名=桂 小莚,翁家 さん生,翁家 馬之助
学歴〔年〕根岸尋常小中退
主な受賞名〔年〕芸術祭賞〔昭和29年〕「素人鰻」,芸術祭賞〔昭和41年〕「富久」,紫綬褒章〔昭和36年〕,勲四等瑞宝章〔昭和41年〕
経歴税務官員の父の転勤にともない上京。10歳の時父が病死したため、小学校3年で中退、奉公に出たが、明治41年初代桂小南の門に入り、3代目三遊亭円馬に師事。小南の失脚後は名古屋、京都、神戸、満州と旅で修業。大正5年に帰京、7代目翁家さん馬(8代目桂文治)に入門、翁家さん生と名乗る。6年5代目柳亭左楽の門に転じ、翁家馬之助で真打。9年8代目桂文楽を襲名。「素人鰻」「富久」「明烏」「寝床」などが得意で、昭和29年「素人鰻」で芸術祭賞受賞。30〜32年、38〜40年落語協会会長。36年落語家として初の紫綬褒章を受章した。46年第42回落語研究会で「大仏餅」を口演中、神谷幸右衛門の名が出なくて中断、「勉強しなおしてまいります」の言葉を残して高座を降り、以来落語を演じなかった。著書に「あばらかべっそん」。上野の黒門町に住み、“黒門町”といえば桂文楽のことをさした。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」