昭和16年4月16日、小田急小田原線、柿生駅に降り立った、四人の男の姿があった。内大臣の松平恒雄、秘書官の筧素彦、宮内省、内匠寮管理課長の池田秀吉、そして護衛の私服警官だった。 池田秀吉によると、柿生駅の北西に当たる南多摩郡鶴川村に、「柿生離宮」を建設するために多摩丘陵を視察するのが目的であった。実は、離宮と言うのは名目にすぎず、十分な、防空施設のない宮城に変わる、新皇居を建設しようとしたのだった。