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共に育つ

DOYUSHAVIDEO 625 1 month ago
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共に育つ 静岡県在住  末吉 喜恵 子育てって、子供を育てているというけど、実際は自分たち親が育っているのではないでしょうか。夫も私も子育てをしていて、忍耐力がいるのはもちろん、危険予知能力も必要なのでは?と思うこともあり、とにかく今まで経験のないことだらけです。 私たちの子育て、これで合ってるのかな?と答え合わせをしようにも、すぐに答えは出ません。10年20年経たないと分からないことなのかな、と思っています。 長女が二歳の反抗期、いわゆる「イヤイヤ期」の時の話しです。初めての育児で、自我の芽生えということが理解できずに、「イヤイヤ~!」と言われると、こちらもイライラしてくることが多くありました。 洋服もそれまでは私が用意したものを素直に着ていたのに、自分で選ばないと気が済まなくなりました。お気に入りは、色柄物のシャツに色柄物のズボン、しかも晴れなのに長靴スタイル!これが毎日です。 これはどう見てもやばいでしょ!と思って、「下のズボンだけでも無地のものに変えない?」と言ってみるのですが、なかなか言うことを聞いてくれません。イヤイヤ期の子育てってこんなにも大変なんだ、これは親として忍耐を学ぶ修行だなと思っていました。 そんなある日、ふと「まあ、いいか。人に何て思われようと気にしない」と気持ちが切り替わったのです。この子が好きで選んでいる服だから、気に入って自分が大好きだと思ってくれればいいや!そう思った日から、かなり気持ちが軽くなりました。 それからも毎日々々、柄柄やピンクピンクなどの、色見ヤバヤバスタイルでしたが、「いいじゃん、可愛いよ!」と褒めるようにしました。夫も「ダッサいね~」と笑いにしていました。自分で選べるようになるのも大事なことなんだと、こちらも学ぶことが出来ました。 我が家の次女と三女は一卵性双生児です。一卵性双生児は遺伝子が同じなので、顔も背格好も、歯の形でさえとても似ていて、初めて見た人はもちろん、保育園や学校の先生も違いが分からないほどでした。 でも性格は違っていて、次女はものをぽんぽん捨てられる子で、逆に三女は捨てられない子でした。なので机の上も、次女はスッキリ何も置いていないけど、三女はお菓子の包み紙とか、これはゴミじゃない?と思うようなものも大事そうに取ってあって、山積みになっていました。それを見て、「やっぱり同じ遺伝子でも、性格や魂は違うのだなあ」と実感しました。 長男が三歳の頃、反抗期に入り自我が芽生えてきて、「今って言ったら今!」という感じで、一度言い出したら聞かなくなりました。他のことで気分を変えさせようとしても、他のもので釣ろうとしてもダメです。自分の欲求が満たされないと、泣いて泣いて大暴れします。 ある日、朝起きてすぐ長女が、持っているキラキラの折り紙を見せびらかしました。あげる気もないのに自慢げに見せるので、長男はそれが欲しくてたまらなくなり、「欲しい欲しい!くれないなら買いに行く!」と言い出しました。10分も泣いて、おさまりがつかなくなり、長女が「一枚あげるよ」と言っても、もう聞きません。 「まだお店開いてないよ」と言っても「開いてる!」と言うので、実際に見に行きました。仕事がお休みの日だから出来たことですが、朝6時半から近くの文具店まで二人でお散歩しました。 一緒に歩き始めるとご機嫌になり、しゃべりっぱなしの長男でしたが、文具店に着くと「閉まってるね」と残念そうな顔。でも、ひらめいたように「100均なら開いてるかも!」と言うので、今度は100均まで歩きました。もちろん閉まっていましたが、実際に見て納得がいったようで、「じゃあ、おうち帰ろう!」と言って、ダッシュで走っていきました。 普段、私と二人の時間を過ごすことも少なかったので、二人きりでの朝のお散歩が楽しかったようです。そのあとは、折り紙のことなんてすっかり忘れて、きょうだいで楽しそうに遊んでいました。 こうして実際に一緒に歩くことを通して、子供は自分の目で見て確認したら納得するのだということを学びました。 幼い頃の特徴としては、子供は理論立てて考えるより、目で見たそのままを事実として脳に入れ込むのだそうです。中でもネガティブな記憶の方がより深く刻まれ、その記憶がその後の人生の色んな場面に影響を与えるのだと聞きました。 でも、子育ての最中で、何がネガティブな記憶として刻まれるかは中々分かるものではないし、防ぎようがありません。だからこそ、ネガティブに対抗するためにポジティブな言葉をかけ続けること、たくさん褒めて、たくさん「大好き!」と伝え続けることが大切なのです。 たくさん「大好き」「ありがとう」と愛情や感謝を伝えられた子供は、人にも優しく出来るし、自分にも優しく出来る子に育つ。そんな思いから、私も子守唄を作って、「ママの子供に生まれてきてくれてありがとう。大好きよ」と、寝る前に子供たちに歌って聞かせてきました。 五人の子育てをしていて、「誰がいちばん好き?」と子供たちから聞かれる時がありました。上の四人は年も近かったので、誰が一番かというのを知りたい時期だったと思います。その時、私は必ず「みんなのことが好きだけど、パパが一番好きだよ」と言っていました。それでみんな納得してくれていました。自分自身も誰が一番なんて順位はつけられないし、実際に夫のことが一番好きなので、その正直な気持ちを伝えました。 でも一人ずつ話をする機会があれば、「みんなにはパパが一番って言ってるけど、実はあなたが一番好きだよ。内緒にしていてね」とこっそり言うと、嬉しそうに「うん」と笑顔に。これを全員に言っていました。 五人の子育てを通して、また子育て支援をする中でたくさんの子供たちと接して、皆一人ひとり確実に個性が違うことを知りました。その個性の違いは、すでに赤ちゃんの時からスタートしています。それは教えに照らせば、私たちの持つ魂は生き通しで、生まれ更わりを繰り返す中で、前生やそのまた前生の生き方が関係しているということだと思います。 子供を神様から授けてもらい、共に育ち、共に学んで成長していることを実感し、感謝する毎日です。 狭いのが楽しみ 「楽しむ」というのは、人間の中に本来備わっている大きな資質の一つであり、楽しむことがなければ、私たちは生きていくことができません。それは、親神様が「人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたい」との思惑から、私たち人間をお創りくだされたからに他なりません。 生活が豊かになること、だんだんと不自由なことがなくなること、心が豊かになること、誰しもこのような「楽しみ」あふれる人生を送りたいと思うはずです。 では、教祖が教えられる「楽しみ」とは、どのようなものでしょうか。 京都で熱心に信仰をしていた深谷源次郎さんが、なんでもどうでもこの結構な教えを弘めさせて頂こうと、勇んでにをいがけ・おたすけに歩いていた頃のお話しです。 当時、源次郎さんが、もう着物はない、炭はない、親神様のお働きを見せて頂かねば、その日食べるものもない、という中、心を倒さずにお屋敷へ足を運んでいると、教祖はいつも、このように仰せ下さいました。 「狭いのが楽しみやで。小さいからというて不足にしてはいかん。小さいものから理が積もって大きいなるのや。松の木でも、小さい時があるのやで。小さいのを楽しんでくれ。末で大きい芽が吹くで」(教祖伝逸話篇142「狭いのが楽しみ」) ここで言われている「楽しみ」は、自分自身の生活が良くなるというような、世俗的な楽しみとは違うようです。 小さいものは、理が積み重なって大きくなること。これこそ天然自然の理であり、親神様の大きなご守護の賜物であること。そして、今は小さくとも、先々この教えがどのように広まっていくのか、それを楽しみに日々を勇んで通って欲しい。教祖はそう望んでおられるのです。 「紋型無い処から、今日の道という。嘘はあろうまい。農家の立毛作るも同じ事、何ぼの楽しみとも分からん」(M32・2・2) 天保九年、教祖お一人からこの道は始まりました。小さいどころか、形さえ見えなかった松の木が、やがて大きな芽を吹き、日本全国、そして海外までも広がりを見せていったのです。 (終)

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