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YouTube"丸馬出"駆使した武田vs徳川最前線!【諏訪原城ジオラマ製作記】 https://youtu.be/rrYjOItVU-M?si=OIlowP5wBD98TGe-
長く続いた戦国乱世を終わらせ、太平の世を築いた徳川家康。その天下取りの秘訣のひとつが「学び」。家康は他の戦国大名家の技術や考えを多く取り入れたと言われています。特に家康が影響を受けたのが甲斐武田氏。武田信玄とその息子勝頼とは約10年にわたって戦いを繰り広げてきました。この苦しい経験が天下取りに役立ったことは間違いないでしょう。家康は信玄が亡くなった時「徳川にとって喜ぶことではない・・」と言ったと伝わります。「弓矢の師匠である武田が隣国にあるからこそ武に励み善政を施してきたのだ」というのです。ライバルである武田をそのように見ていたのですね。家康が武田から取り入れたものの一つに築城技術があります。家康は、自国の城を武田流に改修していたようなのです。それが良くわかるのが静岡県島田市にある諏訪原城(すわはらじょう)。現在、城の跡に残るのが巨大な馬出と横堀。城好きの間で「丸馬出なら諏訪原城に行け」と言われているのは有名な話。台地を切り裂く堀と馬出がとてもきれいに残っています。諏訪原城はこれまで武田氏によって築かれた城であると考えられていました。なぜなら、武田が得意とした技術があちこちに使われているからです。しかし最近の調査によって、現在の遺構は徳川の手によるものであることがわかってきました。諏訪原城は、家康が武田から学んだ城づくりを実践したことを証明する貴重な城ということなのです。