畠山孝一は、若い時は馬車引きで稼ぎながら自らを励ますように民謡を歌ったと話してくれました。彼はよく「うまく歌わなくてもいいから上手に歌え」と言ってました。
彼のように地元の発声で歌える民謡歌手は本当に少なくなっています。
南部牛追い唄はもともと牛方節から派生した民謡ですが、畠山節によって広く全国に知られるようになった陰には町田嘉章などの助言があったと本人も述べてました。
町田は、馬の歌はたくさんあるが牛の歌はあまりないので牛の歌で頑張ってみてはと行ったと言ってます。そして国立劇場で南部牛追い唄を披露したのです。
畠山孝一は南部牛追い唄全国大会で助言をするときに、ハーを伸ばし過ぎないようにと言ってました。