陽人の法話:密教の「密」とは
芦田愛菜さんがとあるインタビューにて「信じる、とはどういこうとですか?」
と、質問された時に答えられた言葉をご紹介したいと思います。
芦田愛菜さんの言葉:
「人は裏切られたとか期待していたのにとか言うけれど、別にそれはその人が裏切ったとか
そういうわけではなくて、その人の見えなかった部分が見えただけであって、
その見えなかった部分が見えた時に、「それもその人なんだ」と受け止められる
揺るがない自分がいるというのが、信じるられることなのかなって思ったんですけど。
でも、揺るがない自分の軸を持つのはすごく難しいじゃないですか。だからこそ人は
「信じる」って口に出して、不安な自分がいるからこそ例えば成功した自分だったりとか、
理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかなと思いました。」
信じる時に大切なのは、信じる対象よりも、自分自身の軸である。
他方にむけてすがるのではなく、自分の信じるものを理解し、
「揺るがない自分」がここにあると信じる。
この芦田愛菜さんの言葉に結びつけたくなる仏教の教えがあります。
弘法大師様のお言葉でもありますが、幸せも不幸も外的要因ではなく
自分自身の心の受け取り方によって、幸せにも不幸にもなる、
自分の心次第なのだとおっしゃっています。
ここでお伝えしたいのは密教の教えについてです。
「密教」とは秘密の「密」に「教」と書くので、「秘密の教え」なのかと思われる方も
いらっしゃるようですが、この秘密の「密」の意味は何かを隠しているということでは無く、
その真理は奥深いものであり、「隠す」ではなく「隠れている」ということに値するのです。
そして、隠しているのは仏様では無く、自分自身だということなのです。
自分が自分の仏を隠している…これは煩悩という、垢や埃に仏性が覆われてしまっている為、
自分自身の仏様に出会えない、気づくことができないということなのです。
弘法大師様がおっしゃった有名な言葉があります。
弘法大師のお言葉:
「仏法遥かにあらず心中にして即ち近し」
仏様ははるか遠くにいるのではない。自身の中にいるのです。
何ものかにならなくて良い。そのままで仏である。
容姿や能力、役にたつのかなど、そのような価値観をこえて、命そのものの尊さにめざめる。
自身の中に隠れている仏様と出会う教えが、密教の教えなのだと思います。
【毎月、須磨寺にて法話をさせて頂いております】
毎月18日の10時からの護摩祈祷と写経会、20日と21日は11時半から奥の院にて、そして、21日は14時から護摩祈祷をさせて頂き、法話をさせて頂いております。
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