今回は神奈川県横須賀市北下浦にある、「若山牧水資料館」と牧水歌碑を訪ね、北下浦での牧水の歌をご紹介します。病気療養のためのわずか2年の滞在でしたが、若山家にとっては健康を取り戻し、地元の人々との交流を通して穏やかな日々を送ることが出来ました。ここでの日々が牧水に活力を与え、その後の東京での活躍の原動力となりました。
牧水の下北浦での出来事
大正4年(1915年)(31歳)
・三月、妻喜志子、転地療養(結核)のため北下浦長沢の斎藤松蔵方に転居。
開業医、田辺久衛氏によって快復にむかう。
・四月には傑作歌選『若山牧水』を抒情詩社、自選歌集『行入行歌』を植竹書院から出版。
・七月には太田水穂が『潮音』を創刊。これは休刊した第二次『創作』の身代わりで、創作社友名簿がそっくり引き継がれた。牧水が歌や原稿を寄せたほか喜志子、山蘭、翠村、水明ら創作社の主要同人が歌を発表。
・七月~八月 栃木県喜連川(高塩背山氏を訪ねる)、長野県北佐久等へ旅行する。
・十月には第八歌集『砂丘』を博信堂書店から出版した。『三浦半島』と題する北下浦での詠草も含まれている。
・十二月十日、喜志子は「川端」(屋号)の家で長女みさきを生んだ。
・十二月末、喜志子処女歌集『無花果』を潮音社から出した。序文を水穂、跋文を牧水が書いた。
この年は貧しくともおだやかに暮れた。
大正五年(1916年)(32歳)
・一月、新春を迎えた。家族は親子四人に産前から加勢にきている喜志子の妹桐子を入れて五人。にぎやかに屠蘇を祝った。
・二月下旬、牧水は上京して二週間余り東京に滞在。前々から計画していた東北地方への旅の旅費を工面するため出版社や雑誌社を回った。
・三月十四日、初のみちのくをたずねて旅立った。仙台、塩釜、松島、盛岡、青森、北津軽、南津軽。さらに秋田、飯塚、福島と回って東京着。北下浦に帰ったのは五月一日だった。
その翌日には喜志子ら母子三人を桐子と一緒に信州に帰した。
・五月の初めに早稲田大学同窓の歌人福永挽歌が病妻と子供一人を連れて北下浦村に移ってきた。牧水が藤里らに頼んで近くに借家を見つけてやった。彼もまた赤貧洗う状態で、牧水があきれるほどであった。牧水は旅行の疲れもあってしばらく寝込むが福永夫妻が看病してくれた。
・六月初めには新潮社から散文集『旅とふるさと』を刊行。早稲田時代からの小品、紀行文、それに旅行と故郷の歌二百余首をまとめたものだ。
・「川端」(屋号)の家の事情で、六月十日頃に転居することになった。近くの谷重次郎方に転居。突然のことで家探しに困ったが、牧水がいつも駄菓子を買いに行く主人が紹介してくれた。その家の娘が東京で看護婦をしていて、牧水の名声を知っていたため両親らを説得して座敷を貸してくれたのである。八畳の間を居間、物置の二階を牧水の書斎にした。通称、蜜柑畑の家と牧水は呼んだ。
・六月末には第九歌集『朝の歌』を天弦堂書房から出版した。北下浦での健康な生活が歌に反映したのであろう『砂丘』と違った生気が三十一文字にあふれていた。
・七月初めに牧水は上京した。一週間くらいのつもりが、十一月初めまでの長逗留になった。仕事をするには北下浦にいたのでは何かと不便であった。本郷区天神町の下宿『富士屋』に腰を落ちつける。太田水穂と『潮音』について相談。『潮音』は牧水が北下浦村に転地している期間、水穂が肩代わりするということで創作社同人をほとんど移動させ創刊したものだった。そのため牧水がまた上京の際には編集も経営も牧水に戻す約束になっていた。
・十一月一日の夜、その後、さらに話を煮つめて発行所は『創作社』、誌名は『潮音』の両者折衷案がまとまり、大正六年新年号から全面的に牧水の手に移ることになった。
・十一月七日、牧水は準備のために北下浦に帰った。ところが、その後、東京と北下浦で手紙で打ち合わせるうちに水穂の言い分が変わってきた。発行所も潮音杜にせよ、と言ってきた。そのうえ、十二月号に載せるため牧水が書いた挨拶文を全部朱で消し、水穂が書き直して送り返してきた。牧水もさすがに憤慨したが、喜志子になだめられて、
・十一月二十六日に上京、改めて二人で話し合ったが、水穂の考えが先日と大幅に変わっていた。彼の周辺がそうさせるのだろうとは推察したものの牧水には不本意な内容だった。
結局、合同の話は決裂し、『創作』を復活すると言い切って牧水は座を立った。
・十一月自選歌集『若山牧水集』を新潮社から出版。
・十二月に一家をあげて東束に引き揚げ、小石川区金富町53に落ち着く。三浦半島には一年十カ月の滞在だった。
大正6年
二月に第三次『創作』(第五巻第二号)がいよいよ復活した。その後、「創作」は100年以上続く短歌誌となった。
牧水は北下浦での生活で人間的にもさらに大きく成長していた。太田水穂との悶着は、妻喜志子のこともあり、これまで応援してくれていた人だけに苦しい思いをしたが、社友も無事に集まり、再出発となったのである。