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「春なのに」柏原芳恵(川栄李奈)

風の風来坊 697,824 2 years ago
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1983年1月11日に発売された柏原芳恵の12枚目のシングル。 オリコンチャートでは最高位6位まで上昇、33.4万枚を売り上げ、柏原にとって『ハロー・グッバイ』に次ぐ大ヒットシングルとなった。公称シングル売上は61万枚を記録。TBS系「ザ・ベストテン」での最高位は2位。また、同曲で「紅白歌合戦」へ初出場を果たした。 作詞・作曲を手掛けた中島みゆきが1989年のアルバム『回帰熱』でセルフカバーを収録。 作詞・作曲:中島みゆき 編曲:服部克久・J.サレッス 柏原芳恵はあるインタビューでこう語っている。 “中島みゆきさんが書いてくれるみたいだよ”ってディレクターさんからお話を聞いて、“えー!本当?”って。みゆきさんからデモテープを頂いたんですけど、なんとも胸キュンな作品で。当時は17歳で、先輩を送り出すっていう等身大の気持ちを歌った歌でしたし。うれしいというと軽いかな、感激というか感動というか、そんな感情でした。『春なのに』はスタッフも力が入っていたものですから、リチャード・クレイダーマン・オーケストラの演奏でカラオケを録るためにヨーロッパへ行ったんですよ。私は連れて行ってもらえなかったんですけど(笑)。当時は卒業ソングという意識はなかったですが、自分が大事に歌っていた曲がいろんなところで卒業ソングの定番として歌い継がれていくのは、皆さんが育ててくださっているようで本当にうれしいですね。 『春なのに』のレコーディングスタジオにみゆきさんが来てくださって。練習している私の歌を聞いたみゆきさんから、「あぁ、高い声出るんですね。でもね…」ってアドバイスを頂いて、そこから歌の伝え方や誰かに伝えるということの世界観が広がったと思います。 その後も中島みゆきから数々の楽曲が提供されている。 出会いとは不思議なものだと彼女は語った。 『春なのに』は、桜の儚さが漂う美しい楽曲である。 しかしその印象からは、中島みゆきらしくない作品でもあるように感じる。 力強い中島みゆき像からは、およそ想像がつかない。しかし楽曲は素晴らしい。 それは、柏原芳恵が等身大で歌っていて、自身の想いとして歌えているからだろう。だからこそ、しみじみと主人公の女の子の切ない気持ちが伝わってくる。この曲を歌う83年当時の柏原芳恵は17歳で高校2年生。もちろんそこには中島みゆきの計算があるわけで、曲中の主人公の女の子も17歳で高校2年生のはず。  卒業だけが 理由でしょうか この後に繋がる言葉は、この一行を膨らませるための言わば補足でしかない。 だが本作が名曲たる所以は、補足部もまた素晴らしいということ。 その最たるフレーズがこれだ。  卒業しても 白い喫茶店  今までどおりに 会えますねと  君の話はなんだったのと  きかれるまでは 言う気でした  記念にください ボタンをひとつ  青い空に 捨てます 状況が特定できる明確な言葉は何ひとつない。 だが想像をかき立てるワードが散りばめられ、シチュエーションは朧げながら伝わってくる。 そしてこの曖昧さがサビを大いに引き立ててくれている。  春なのに お別れですか  春なのに 涙がこぼれます  春なのに 春なのに  ため息 またひとつ ボタンをもらう文化はまだ残されているのだろうか? あれはあれで、なかなか素敵な儀式だったように思う。 学生時代は桜と同じ。儚いからこそ、美しく感じる。 二度と戻れない青春時代。 切ない春がまたやってくる。 #春なのに #川栄李奈

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