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俺たちの臨済録 第三十回 示衆七②「嫌う底の法勿し」

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臨済宗建長寺派 満願寺住職 永井宗直 臨済宗建長寺派 満昌寺副住職 永井宗徳 による臨済宗の宗祖である臨済禅師の語録、「臨済録」の公開勉強会です。 第三十回は「示衆」(師=臨済 が大衆に説法を行うこと)の七の②です。 ◎原文 約山僧見處、勿嫌底法。爾若愛聖、聖者聖之名。有一般學人、向五臺山裏求文殊。早錯了也。五臺山無文殊。爾欲識文殊麼。祇爾目前用處、始終不異、處處不疑、此箇是活文殊。爾一念心無差別光、處處總是眞普賢。爾一念心自能解縛、隨處解脱、此是觀音三昧法。互爲主伴、出則一時出。一即三、三即一。如是解得、始好看教。 ◎現代語訳:(参考:「臨済録」入矢義高訳注 岩波文庫p65-67) わしの見地からすれば、すべてのものに嫌うべきものはない。君たちが、もし(凡を嫌って)聖なるものを愛したとしても、聖とは聖という名にすぎない。修行者たちの中には五台山に文殊を志向する連中がいるが、すでに誤っている。五台山に文殊はいない。君たち、文殊に会いたいと思うか。今わしの面前で躍動しており、終始一貫して、一切処にためらうことのない君たち自身、それこそが活きた文殊なのだ。君たちの一念の、差別の世界を超えた光こそが、切処にあって普賢である。君たちの一念が、もともと自らを解放し得ていて、いたる処で解脱を全うしていること、それが観音の三昧境だ。〔この三つのはたらきは〕互に主となり徒となって、その発現は同時であり、一がすなわち三、三がすなわち一である。ここが会得できれば、はじめて経典を読んでよろしい。」

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