伝説の名吟詠家 笹川鎮江二代会長の映像を発掘!
名吟の数々が令和の時代に蘇る
杜甫作「春望」
作者:
杜甫(712~770)盛唐の詩人。
洛陽に近い江南省の生まれ。呉・越・斉・趙を遊歴。44歳で太子右衛卒府曹参軍となり、後に左拾遣に任ぜられるが、粛宗の逆鱗に触れまもなく漂泊の身となる。厳武に招かれ、成都の郊外にある浣花渓に草堂を建てる。竹を植え、酒を飲み、詩を歌う安隠な生活も一時で、蜀の地が乱れたため再び流浪の身となり、不遇の生涯を終えた。
解釈:
至徳元載(756)、安禄山は謀反を起こし、洛陽、長安は陥落した。杜甫は幽閉されるが、地位も名声もなく衰えきっている詩人を問題にせず、捕虜待遇もさほど厳しいものではなく、町をこっそり歩くこともできたようである。詩の前半は、眼前の長安の廃墟した景を見て、変化する人間の世と、変わらぬ自然とを対比させて感慨にふける。後半は、国を憂い、妻子を思い、心労によって急激に衰えた身を嘆くことをもって結んでいる。
通釈:
都は戦乱のため破壊されてしまったが、自然の山や河は昔どおりに残っている。春になって城内は草木が深く生い茂っていつのに、人影すら見えない。平和な時なら花を見て楽しいはずなのに、かえって涙が流れてしまう。家族との別れを恨み悲しみ、心を慰めてくれるはずの鳥の声にも心を驚かしている。戦火は長い間続き、家族からの手紙もなかなか来ないので、万全にも相当するほど貴重に思われる。自分の白髪頭をかくと、心労のために髪も短くなってしまい、冠をとめるかんざしも挿せないほどになってしまった。
笹川鎮江:
大正12年(1923)東京に生まれる。
幼少より筑前琵琶を習い、昭和6年(1931)、当時の筑前琵琶の女王豊田旭穣に師事し、雅号「旭凰」を授与される。
昭和11年吟詠の木村岳風に入門、翌年NHKオーディションを1回で通り、NHK文芸部長小野賢一郎の勧めによって吟詠主体に精進し、吟詠界のスターとなる。
戦後も笹川良一夫人として多忙な身でありながら、レコード、公演と幅広く活動し、吟詠静凰流を創始、昭和43年(1968)日本吟剣詩舞振興会の創立メンバーの一人となる。
和歌と近代詩を吟詠の素材として発掘、琵琶の節調を生かした独特の詩吟の節付けをし、主な作曲に「千曲川旅情の曲」「潮の音」(島崎藤村作詞)、「わが家の富」(徳富蘆花作詞「自然と人生」より)、「兜」(大野恵三作詞)などがある。
海外への吟詠の普及活動にも努め、欧米・東南アジア各地で公演する。
筑前琵琶の名手としても名高く、「ひめゆりの塔」「千姫の嘆き」などを作曲。
昭和56年、吟詠と琵琶の芸術的活動に対し、中華民国より文化奨章を受章。
昭和60年、財団法人日本吟剣詩舞振興会「吟剣詩舞芸術大賞」を受賞。また吟剣詩舞の振興功労により「文部大臣特別表彰状」を受賞。
平成元年、吟詠の精進並びに発展に寄与した功績により「紫綬褒章」を授与される。
平成7年、財団法人日本吟剣詩舞振興会第2代会長に就任。
平成14年3月16日逝去。