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【猪木に放置されたブッチャーの悲劇】今や病気・裁判・金銭問題とトラブル続出。なぜブッチャーは新日本で輝けなかったのか? #プロレス #猪木  #長州力 #極悪女王

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↓応援頂けるスポンサー様 お問い合わせはコチラから [email protected] 全日本で多くの激しい戦いを行なってきたブッチャーだったが、彼の新日本での名勝負と言われたら皆さんはどの試合を思い浮かべるだろう。 ブッチャーは、4月30日に全日本の「'81インター・チャンピオン・シリーズ」松戸市運動公園体育館大会が終了すると、翌週の5月8日、新日本の「第4回MSGシリーズ」開幕戦の川崎市体育館大会にユセフ・トルコと一緒に現れた。 そしてこのシリーズの最終戦である6月24日の蔵前国技館大会のメインイベントがブッチャーにとっての新日本での最初の試合となった。ハンセンと組んだブッチャーの相手は、猪木&谷津嘉章だった。この試合は、プロデビュー戦であるにも関わらず、猪木とのタッグで蔵前のメインイベントに出場するという破格の待遇を受けた谷津が、ハンセンとブッチャーにボコボコにされて大流血に追い込まれて、いいところなく敗退したことで有名だが、この試合がブッチャーの新日本初戦だったことはあまり強調されることはない。 その次の「サマーファイトシリーズ」では、バッドニュース・アレンたちと組んで猪木、坂口征二、藤波辰巳、長州力、木村健悟たちと連日タッグマッチで激突。坂口や藤波とはシングルでも何度も戦っている。 だがその後、10月9日からの闘魂シリーズには参戦したものの、ここでもカードはサマーファイトシリーズと同様で、猪木とはタッグマッチで戦うことはあってもシングル戦が組まれることはなかった。 ようやくシングル初対決となったのが82年1月28日の東京都体育館。この試合は14分52秒、バッドニュース・アレンの乱入によって猪木の反則勝ちとなった。 そして、このブッチャーと猪木の初シングル戦のわずか10日後には同じ東京都体育館で馬場VSハンセンの一騎打ちが行われた。この試合は「馬場復活」を印象づける名勝負としてこの年のプロレス大賞の年間最高試合に選ばれたが、それに比べて猪木VSブッチャーは、話題性に乏しい試合内容であった。 初めて新日本のリングに出現してからおよそ9ヶ月経ってようやくシングル初対決。機を逸していたと言わざるを得ないだろう。 その後もブッチャーは新日本への参戦を続けた。ハルク・ホーガンやダスティ・ローデス、ディック・マードックら強豪外国人と戦ったり、ラッシャー木村との共闘からの仲間割れなどの展開もあったりはしたが、IWGPリーグ戦を中心とした当時の新日本のメインストリームからは外れていた。 #プロレス #猪木  #長州力 #極悪女王

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