オウム真理教の教祖として死刑執行された麻原彰晃(本名:松本智津夫)。幼い時から女性と権力に異様な欲望を抱き、相次ぐ逮捕でも更生することなくカルト教祖の道を爆走。その所業を最後の死刑執行、遺作となった不気味な舞台劇映像まで、まとめました。【 ゆっくり解説 オウム真理教 総集編 】として、ゆっくり茶番劇スタイルでお届けします。
0:00:00 イントロダクション
0:00:06 目次
【前半 オウム真理教が出来るまで】
0:00:29 少年期編 盲学校を恐怖支配
0:10:09 社会人編 インチキ漢方薬でぼろ儲け
0:20:42 彰晃誕生 西山祥雲との出会い
0:29:50 空中浮遊 捏造された神秘現象
0:38:32 宗教法人へ ダライラマと売名コラボ
【後半 奇行から無差別テロまで】
0:47:59 尊師の超能力紹介アニメ
0:56:13 麻原彰晃 10の掟
1:06:22 修行と称して虐待・搾取
1:15:14 致命的な挫折 オウムの総選挙
1:27:52 レーザー砲から軍事ヘリまで 超武装
1:36:17 地下鉄サリン事件 教団の崩壊
1:45:15 終章 逮捕~死刑台に向かうまで
2:05:44 超時空おまけ 「尊師脚本制作の舞台・アニメ」
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★少年期編 盲学校を恐怖支配
【幼少期】
麻原彰晃(本名:松本智津夫)は1955年に熊本県で生まれました。9人兄弟の7番目で、父は畳職人でした。家庭は貧しく、自宅は簡素なものでしたが、父は新しいものが好きで、テレビを最初に買ったりしました。
【盲学校へ転校】
智津夫は生まれつき左目がほとんど見えず、右目の視力も1.0程度でした。そのため、両親は将来のことを考え、彼を盲学校に転校させました。6歳で盲学校に入ることになり、彼は親に捨てられたと感じました。
【盲学校で無双する 全能感に溢れる青春】
盲学校での生活は、智津夫にとって無双状態でした。視力が1.0ある彼にとって、視覚障害を持つ他の生徒との違いが大きく、授業は簡単すぎて退屈でした。また、運動も得意で、柔道2段を取得するほどの腕前でした。
【エスカレートする松本智津夫】
智津夫の行動は次第にエスカレートしていきました。児童会長選挙に立候補し、選挙戦ではお菓子を使って生徒たちを買収しました。また、寄宿舎では他の生徒を支配し、万引きを強要するなどの問題行動が続きました。
★社会人編 インチキ漢方薬でぼろ儲け
【盲学校卒業後】
松本智津夫は1975年に盲学校を卒業しました。卒業前に彼は自民党の政治家、内閣総理大臣になるという大きな夢を抱いていました。しかし周囲からは嘘だと思われていました。
【前科持ちに】
盲学校を卒業後、智津夫は東京都に引っ越しましたが、勉強やアルバイトがうまくいかず、半年で熊本に戻り、兄の店を手伝うことになりました。しかし、ある日兄の店の従業員を暴行し、逮捕されました。
【石井知子との出会い】
その後、智津夫は再び上京し、予備校の代々木ゼミナールに通うようになりました。ここで、石井知子と出会います。知子は智津夫にすぐに惹かれ、彼の世話を焼くようになり、2人は結婚しました。
【鍼灸院開院】
結婚後、2人は千葉県で鍼灸院を開きました。智津夫は「中国式漢方総合治療室」として、腰痛や鞭打ち、慢性疾患、ダイエットなど幅広い症状に対応する鍼灸院を経営しました。
【漢方薬局に転身】
しかし、鍼灸院は長続きせず、智津夫は漢方薬局「亜細亜堂」を開業しました。ダイエットブームに乗じて、耳のツボに鍼を刺して痩せさせるという方法で大きな成功を収めました。しかし、保険料の不正請求が発覚しました。
【宗教との出会い】
この挫折の後、智津夫は宗教に出会い、新興宗教「阿含宗」に入信しました。この宗教は仏教系で、密教と占星術の組み合わせのような教義が特徴です。
【BMA薬局オープン ダイエット薬で大儲け】
1981年、智津夫はダイエット薬を販売して大儲け。これもインチキ商法であり、後に薬事法違反で逮捕されました。
【超高級薬を勝手に製造】
智津夫は薬剤師でも医者でもないにも関わらず、自宅の倉庫で薬を製造し、3万円から6万円で販売しました。これらの薬は「風湿精」青龍丹」「降圧精」という怪しげな名前で販売されました。
【薬事法違反で逮捕】
1982年6月、智津夫は薬事法違反で逮捕されました。彼は逮捕後も宗教的な話をして取り調べ官を困惑させましたが、最終的には罪を認めました。
★彰晃誕生 西山祥雲との出会い
【西山祥雲との出会い】
1982年11月、松本智津夫は千葉県船橋市から東京の世田谷区にある西山祥雲の元を訪れました。西山は社会総合解析協会の会長であり、競馬で14億円を稼いだと主張する経歴を持ち、不動産やパチンコ屋の経営者育成を行っていました。松本は西山の元で教えを受け、彼の影響を強く受けることになります。
【松本彰晃の誕生】
西山の影響を受けた松本は、「宗教は雲の巣を張っておけばいい」と考え、宗教活動に傾倒するようになります。西山からは「政治家になるのは無理だが、宗教家としてなら成功する」という助言を受け、1983年に松本は「松本彰晃」という新たな名前を授かります。
【学習塾オープン】
1983年夏、松本は東京都に「鳳凰慶林館」を開設しました。塾の名前や広告は非常に怪しげで、「君の成績がぐんぐん伸びる」「脅威の能力開発法」といった誇大広告を展開しました。しかし、実際には教育的な実績はなく、受験戦争に悩む親たちから金を巻き上げることが目的でした。
【ついに麻原彰晃に】
この学習塾の運営を通じて、松本は次第に宗教活動に専念するようになり、「麻原彰晃」という名前を正式に名乗るようになります。これが、後にオウム真理教の教祖となる麻原彰晃の誕生の瞬間でした。
★空中浮遊 捏造された神秘現象
【ハルマゲドン思想の傾倒】
竹内文書というオカルト文献に影響を受け、松本はハルマゲドン(最終戦争)思想に傾倒しました。この思想は、核戦争によって浄化され、選ばれた者だけが生き残るというもので、これがオウム真理教の根幹思想となりました。
【巧みなマスコミ戦略】
松本はマスコミ戦略を駆使し、多額の広告費を投じて自身の存在をアピールしました。オカルト雑誌や週刊誌に連載を持ち、特に「空中浮遊」の写真を売り込むことで、注目を集めました。
【空中浮遊 取材の舞台裏】
プレイボーイ誌の取材チームは、渋谷区のマンションで行われた「空中浮遊」の撮影に参加しました。しかし、実際には松本が膝でジャンプする様子を広角レンズで撮影し、あたかも浮遊しているように見せかけました。
★宗教法人へ ダライラマと売名コラボ
【有名人とお友達大作戦】
様々な有名人との接触を図り、教団のブランディングに努めました。インドでは著名な聖者パイロットババとの面会を果たし、その出来事を誇張して広めることで、自らの神秘性を高めました。さらに、ダライ・ラマ法王との面会も実現し、その写真を教団の宣伝に使用するなど、巧妙な戦略を展開しました。
【オウム真理教誕生】
麻原は「日本シャンバラ化計画」と称して、主要都市に道場を設立し、信者を集める戦略を進めました。さらに、不動産取得や資金集めのイベントを通じて、教団の財政基盤を強化しました。
★尊師の超能力紹介アニメ
【基本技:空中浮遊】
麻原彰晃の基本技の一つとして、空中浮遊があります。彼は瞑想中に体が浮くと主張しており、これがオウム真理教の信者たちにとっては彼の超常的な力の象徴となっていました。実際には体が跳ねるだけの動作でしたが、信者たちはこれを神秘的な現象として捉えていました。
【テレポーテーションの神秘】
麻原彰晃はテレポーテーションもできるとされていました。これによって、瞬時に遠く離れた場所に移動することができると主張していました。幽体離脱と組み合わせることで、信者の監視や見えない攻撃に利用されていたとされています。
【透明人間化の可能性】
透明人間化の技術も麻原彰晃の技の一つとして紹介されています。彼はエネルギーを使って体を包み隠すことができるとし、物理攻撃から身を守ることができると主張していました。この技術により、見えない状態で敵を攻撃できるという設定でした。
【邪眼とその効果】
麻原彰晃は「邪眼」と呼ばれる技術も使えるとされています。この技術は、相手に視線を送るだけでその人の意識や行動を操ることができるというものでした。これによって、信者たちを操作し、支配する手段として利用されていました。
★麻原彰晃 10の掟
【不殺生】
【不偸盗】
【不邪淫】
【不妄語】
【不綺語】
【不悪口】
【不両舌】
【不愛著】
【不邪悪心】
【不迷妄】
★修行と称して虐待・搾取
★致命的な挫折 オウムの総選挙
【麻原彰晃の政見放送】
1989年に「真理党」を結成し、国政選挙に打って出ました。彼の政見放送では、オウム真理教が主張する政策がいくつか紹介されました。
【選挙公約 1 消費税廃止】
麻原は消費税廃止を公約の一つに掲げました。彼は、政府が約11兆円の税金を無駄に使っているとし、それを整理すれば消費税を廃止できると主張しました。
【選挙公約 2 医療改革】
麻原は医療改革についても述べ、予防医学の重要性、薬漬けや検査漬けの問題、そして西洋医学と東洋医学の統合を訴えました。
【選挙公約 3 教育改革】
教育改革については、日本の将来を築くために、子供たちの心を育み、才能を豊かにする教育カリキュラムの改革を提案しました。
【選挙公約 4 福祉政策】
福祉政策では、5兆円を福祉に当てることを主張し、GNP第2位の日本で福祉の水準が低いことを批判しました。
【選挙公約 5 国民投票制度】
麻原は、真の国民国家であり続けるために国民投票制度の導入を提案しました。これにより、消費税強行採決のような事態を防ぎ、金権腐敗政治を一掃できると主張しました。
【選挙戦略】
オウム真理教は、25人の候補者を立て、東京都第4区を中心に選挙活動を展開しました。奇抜な選挙戦略として、麻原彰晃の写真入りビラやパンフレットの大量配布、白いコスチュームを着た女性信者のダンスなどが行われました。また、麻原彰晃自身の凱旋活動も行われました。
【選挙結果】
選挙結果は惨敗でした。麻原彰晃自身も東京4区でわずか1,783票を獲得するにとどまりました。オウム真理教の選挙活動は大失敗に終わり、麻原はこの結果に対して陰謀説を唱えました。
★レーザー砲から軍事ヘリまで 超武装
【毒ガス兵器「サリン・ソマン・VXガス・ホスゲン」】
オウム真理教は、信者の中にインテリを集め、様々な化学兵器を開発しました。サリンは、ナチス・ドイツが開発した猛毒の神経ガスで、教団内では「さっちゃん」と呼ばれていました。
【細菌兵器】
オウム真理教は、ボツリヌス菌や炭疽菌、エボラウイルスなどの細菌兵器の開発にも着手しました。ボツリヌス菌は1グラムで100万人の致死量になると言われるほどの猛毒で、北海道まで行って菌が含まれる土地を入手しようとしましたが失敗しました。
【重火器】
【レーザー兵器で競馬に勝とうとした?】
【プラズマ兵器、特殊潜航艇、風船爆弾、六法煙書、高級ラジコンヘリ】
★地下鉄サリン事件 教団の崩壊
★終章 逮捕~死刑台に向かうまで
★超時空おまけ 「尊師脚本制作の舞台・アニメ」
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