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国立能楽堂ヘ能鑑賞の日のスタイリング
関連動画🎥
https://youtu.be/EVWNux7JIvU?si=8iXpFotVmBrFa7_8
お能の感想を熱く語っております。
動画の音楽はのちほど記します。
🔸能鑑賞の感想
✨ 能・狂言の世界に触れてきました ✨
能を大成した世阿弥(ぜあみ)は、「秘すれば花」という言葉を残しました。
美しさや感動は、すべてを見せるのではなく、
余韻や想像の余地を残すことで生まれる——まさに能の舞台そのもの。
静寂の中に広がる深い物語、洗練された所作、
幽玄な美しさ…。対照的に、狂言はユーモアと
機知に富み、人間らしい可笑しさが満載!
このコントラストがまた魅力的でした。
日本の伝統芸能は、現代にも通じる美意識や
笑いのエッセンスが詰まっています。
機会があれば、ぜひ体験してみてください!
この日の最後の演目、鵺(ぬえ)」は、
特に印象にのこりました。私的な感想を
お耳汚しかもしれませんが、
ぜひ最後までお付き合いください。
源頼政に弓で射落とされた鵺の亡霊が、
僧の前に現れ、敗者としての悔しさ、無念さ、
悲しみ、怒りを訴えます。しかし、
最後には成仏を願い、静かに消えていくのです。
世阿弥は『風姿花伝』の中で、「時分の花」
と「まことの花」 という言葉を残しました。
「時分の花」は若さや技術の輝きですが
、「まことの花」とは、心を動かし、震わせる深い芸のこと。
「鵺」の舞はまさに「まことの花」でした。
敗れた者の無念を、ただ悲しみとしてではなく、
美しく昇華させる。静かに時に荒々しく舞う姿に、
観る者の心が共鳴し、深い余韻が残ります。
能は、派手な演出はなくても、
観る人の想像力をかきたて、
見えないものまで感じさせる芸能です。
「鵺」の能に引き込まれてしまいました。
能「鵺」の物語は、敗れ去った者の悲しみや
悔しさを描いていますが、実はこれを演作った
世阿弥自身もまた、敗者の立場を経験します。
時の将軍が変わると、かつて栄華を極めた世阿弥は
冷遇され、佐渡へ流されます。
能の隆盛を築いた者が、やがて歴史の波にのまれ、
忘れ去られていく――。
まるで鵺を討った頼政が、後に自害へ追い込まれたように、
栄光と没落は表裏一体の過酷さが常でした。
日本人は、敗者の無念をただ忘れるのではなく、
和歌になぞらえ、能のおもてに刻み、
昇華させてきました。
強いものもやがて移ろいゆくならば、
敗者の嘆きに気持ちを寄せることも自然に起きる。。。。
日本人固有の美意識が、今も私たちの心に
響くのではないでしょうか。
!
能を観て何日か経つのですが、
いまだに心にじーんと、響いております。
参考文献、サイト引用、詳細など書き途中です。
世阿弥の風姿花伝の奥深さを再認識!
…能鑑賞に脳天パンチくらったルナドロップです!