【第二の前田・長州事件】試合動画で検証 35年間 誰にも見破れなかったこのアングル 新説!小林邦昭と山崎一夫の不穏試合の真相 #プロレス #猪木 #長州力 #前田日明 #小林邦昭
↓応援頂けるスポンサー様 お問い合わせはコチラから
[email protected]
山崎がふたたび新日本を離れて第2次UWFへ移籍する直前に、その「事件」は起こった。
1988年3月19日、新日本の後楽園ホール大会。
小林は保永昇男とのコンビで、高田・山崎とのタッグマッチに臨んでいた。
いわゆるこれが小林邦昭と山崎一夫の不穏試合「第二の前田・長州事件」である。
この不穏試合について、小林はこんなことを語っている。
「その前にどこかの地方で山崎と闘った時に『ちょっと違うな』という感じはありました。その流れが後楽園で爆発したという感じだと思いますよ。試合が始まって、山崎に『この野郎』ってスイッチが入ったんでしょうね」
一触即発のケンカマッチだが、「ハプニングがあってこそプロレス」という信念を持つ小林にとってはウェルカムだった。
「プロレスはハプニングが起きるような試合じゃないとダメですよ。シェイクハンドで始まってシェイクハンドで終わるような試合は面白くないし、そんなのはプロレスじゃないですよ」
だが、あるプロレス評論家は辛辣な口調で山崎を非難した。
「新生UWFへの移籍を決めた上で、何の非もない小林にこんな仕打ちをするなど、山崎はレスラー以前に人間として最低だ」
第2次UWFへの移籍を決意した山崎が、前田をクビにした新日本に抱いていた鬱憤を小林にぶつけた……というのがほとんどの見方であり、山崎も自著の中でこう語っている。
「当時は自暴自棄になっていて八つ当たりだった。とばっちりを受けた小林さんには本当に申し訳ないことをした」
だが近年、この不穏試合の新たな真相が明らかになった。
ある雑誌の対談企画に登場した山崎が、試合から35年経った今だから言えることだと前置きをして、こんな発言をしたのである。
「……あれは小林さんが言ってきたんですよ」
なんと、山崎と高田が新日本を辞める最後の試合にあたって、小林のほうから山崎に「仕掛けてこい」と誘ったというのである。
#プロレス #猪木 #長州力 #前田日明 #小林邦昭