1976年9月20日にリリースされたアリスの9枚目のシングル。
アルバム『ALICE V』からの後発シングルカットのため、オリコンチャートでは51位となり、大きなヒットには恵まれなかったが、谷村新司は度々MCなどで「アリスにとってなくてはならない曲」「ずっと歌い続けていく」と語っているように、アリスとして、谷村、堀内孝雄両名がソロとしても歌い続けている、アリスの代表曲。ライブでの披露も数多い。
ジャケットには、電化前の奥羽本線醍醐駅の風景が掲載された。
作詞:谷村新司
作曲:堀内孝雄
編曲:篠原信彦
この曲の魅力の大半は歌詞にある。
谷村新司が書いたこの歌詞は、アリスらしくそこここに泥臭く、ちょっと演歌っぽい世界が漂っている。
何もいいことが なかった この街で
と締める。
そう、結局この町では特にいい事はなかった。たぶん今後もそれは同じだろう。
しかし、ここで生きていく。それはもう仕方ないから。他に行けるところもない。
明日も、そしてまた明後日も俺はここで変わらず、遠く走る列車の音など聞きながら粛々と
暮らしていくのだろう。それが俺の人生なんだろう。
・・という、「達観」というほど強くもなくて、特に明るくも暗くもなく、いわばドラマ性のほとんどない、ほぼ平坦な感情を歌っている。
谷村が旅行で訪れていた秋田県で電車に乗り横手市のJR横手駅から奥羽線の上り線で2駅の8分程で、醍醐駅に到着した。そこは、本当に「何もない」無人駅だった。この「何もない」から歌詞が思い浮かんでいったという。
人は人を恨んで生きていくのは辛い。それであれば、その気持ちを胸に涙を流したとしても、その涙の捨て場所を探してみようという気持ちが込められている。グッと堪えて耐えながらも、懸命にただひたむきに生きていこうという前向きな思いも伝わってくる。
たとえ何もいいことがなかった街でも、その街で生まれ育ち思い出は沢山あると思う。人それぞれの人生で、たとえ何もない場所でも綺麗に輝くこともできるし、努力すれば登り詰めることができる。何もない場所にも人間の可能性はあるということを谷村は伝えたかったのではないだろうか。
一説では谷村によると、この汽笛というのは、汽車の汽笛ではなく、青森を訪れた時に、遠くで聞こえた、青函連絡船の汽笛なんだともいう。
#遠くで汽笛を聴きながら
#石原さとみ