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【合戦解説】防長経略[前編] - 須々万沼城の戦い - 〜厳島で大内軍を打ち破った毛利軍の西侵がはじまる〜<毛利㉒>

YUKIMURA CHANNEL 261,707 7 days ago
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<毛利シリーズ㉒話> 時は戦国時代 後期 天文22年(1553)9月 毛利元就 隆元父子は 大内と交わしていた盟約を反故にされたことを口実に、大内の従属国衆を解消し 独立を宣言した。 支度を整えていた毛利の動きは早く、安芸の桜尾城や備後の旗返山城といった大内の拠点を次々に攻略し『防芸引分』と呼ばれる毛利の独立戦を優位に進めた。 その一報に怒った大内家当主 義長と 家宰 陶晴賢は、吉見正頼の籠もる三本松城の兵糧攻めを継続しつつも毛利軍の周防入を阻止すべく宮川房長や弘中隆兼らの隊を東周防に向かわせた。 しかし 山手を進む宮川隊が元就の誘引策に嵌り 大将の宮川房長を失う敗北を喫してしまう。 この報に 急ぎ毛利対策に切り替えたい陶は 吉見方に有利な条件での降伏に応じ、周防 山口に帰還。 毛利討伐軍の大将となった陶晴賢は、周防 長門からかき集めた400艘もの大船団と兵2万を動員し 岩国に向け出陣。 毛利と大内との決戦は避けられない状況となった。 陶晴賢の首を挙げたい毛利隆元に対し、大軍を有する大内軍との決戦を避けたい元就は 山岳での局地戦で勝利を重ね、宥和交渉に運ぶ動きにでるも、400艘もの大船団で厳島の制圧に動くという 想定外の陶の侵攻を受けてしまった。 完全に裏をかかれた元就は 譜代衆の主力を山手の抑えに残し、 急ぎ桜尾城 そして草津城へと移り兵や船をかき集める動きにでる。 しかし急には兵や船は集まらず日々は過ぎ、その間 厳島の毛利拠点 宮尾城は攻められ続けた。 守る城将 己斐直之は熊谷信直の援軍を受け なんとか5日間耐えたが、水の手も絶たれ いよいよ落城が迫ったその時、ここまで日和見を続けていた 村上水軍が 毛利方の援軍としてやってきた。 それを受け 元就は一か八かの奇襲戦を決断。 毛利隆元 吉川元春 小早川隆景の息子らとともに夜のうちに厳島に渡った元就は、翌日早朝 陶本陣への突撃を命じた。 島内部からの奇襲攻めを想定していなかった大内軍は瞬く間に混乱に陥り、海では村上水軍が大内船団を次々に燃やしはじめたことから 大内兵の混乱と暴走は加速。 午前中には大内船団の半数が大破や略奪にあい 残りは島からの逃亡に使われ、逃げ場を失った陶晴賢は大江浦で自刃。 3日間 龍ノ岩で抵抗続けた弘中隆兼も吉川隊の猛攻を受け討死。 この『厳島の戦い』の全貌が大内義長に伝わるのは、合戦から半月が過ぎた10月中旬となった ▼ユキムラ本『裏切り合戦図鑑』好評発売中!▼ 定 価:1,800円+税 発売日:2025年1月30日(木) https://www.amazon.co.jp/dp/4046069074 ▼オフィシャルグッズ販売サイト▼ https://yukimura.theshop.jp/ [ご覧になられる方へ] ※個人制作となりますので誤字脱字等ありますことご了承ください ※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります ※合戦や物語の出来事は諸説あります ※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません ※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております ※演出時に大きな音が出る場合があります ※2025年時点での歴史資料を元に作成しております ※イラスト提供:史環 殿 #戦国時代 #合戦 #歴史

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