長かったのか、それともあっという間だったのか?あれから30年の年月が経ちました。6400人を超える人たちが犠牲となり、10万棟以上の家屋を飲み込んだ阪神淡路大震災。兵庫県宝塚市のアパートの一室で寝息をたてていた家族5人も建物の下敷きとなり、シングルマザーだった母親と長女が命を失いました。救出された3人の兄弟はその後、祖父母に引き取られ、亡くなった母が生まれ育った長崎の五島列島に渡りました。
高校卒業まで3人は五島市で暮らしていました。長男の雄輔(震災当時11歳)は地元に残り長崎県庁に就職しましたが、双子の健志、康志(当時4歳)は震災前の記憶はほとんどないものの、運命の歯車に引き寄せられるように兵庫県に戻って働いています。3人がそれぞれ歩んできた道を、新しく築いた家族を、朝日新聞阪神支局長の小池淳記者が取材しました。3兄弟が埋めてきた、積み重ねてきた“家族のアルバム”です。(2025年1月15日に放送しました)