吉原で遊んで無銭飲食した者や勘定が足りない者には若い衆がその家までついて行って勘定を取り立てました。これを付き馬といいます。見世の前で客を引いていた若い衆が男を呼び止めた男は多町で金貸しをしてい親戚の代わりに貸した金を集金に来たが先方の準備が整うまで冷やかしているだけで見世には上がれないと言う。若い衆はなおも引き留めると男は・・・
五代目春風亭柳朝
林家彦六一門の総領弟子。七代目立川談志の前座時代、談志に最も辛く当たった先輩と言われていて、談志曰く「よく苛められた」と言っているが当の柳朝は「そんなに苛めたかな」と記憶になかった様子である。二代目三遊亭金翁(当時四代目三遊亭金馬)が師匠の三代目三遊亭金馬死去後に落語協会に所属する際に香盤をどこにするかもめたが、柳朝が「俺は金馬さんの後ろでいい」と言って収まった。このことを金翁は「生涯柳朝さんに恩義を感じる」と語り、柳朝が倒れてからも中元歳暮は欠かさず、少なからぬ額の現金を柳朝に贈っていたという
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