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六代 宝井馬琴「武田信玄 三方ヶ原の合戦」

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「元亀三年十二月二十二日、武田軍が浜松から三里のところへ進軍したので家康が出陣する。"合戦しよう"と仰せられると、それぞれの家老衆は "今日の合戦はいかがでしょうか。敵の人数は三万ほどと見えます。信玄は老武者であり度々の合戦に慣れた者です。御味方はわずか八千くらいでしょうか 。"と申し上げた。  家康は、"それはそうであるが、多勢で我が屋敷の裏口を踏み破って通ろうとするのに、中にいながら出て咎めない者があろうか。負けるとしても出て咎めるであろう。そのように我が国を踏み破って通るのに多勢だからと言ってなぜ出て咎めないというのか。とにかく合戦をせずしてはおけないだろう。戦は多勢無勢によらず、天道次第である。" と仰せられた。皆は仕方がないと思い、攻め寄せた。  敵を祝田の坂下へ半分過ぎでも引き下ろして攻めかかったならば、たやすく勝てたものを、はやり過ぎて早く攻撃してしまった。信玄は度々の合戦をしていたので魚鱗の陣を敷き待ち受けた。家康は鶴翼の陣を敷いたが、小勢だったので手薄だった。  信玄はまず郷士たちに小石を投げさせた。しかし家康の軍は相手にせず、兜のしころを傾けて攻めかかると、すぐに一陣、二陣を切り崩した。また新手が掛かるのを切り崩し、信玄の旗本まで攻め掛かった。信玄の旗本からもときの声を上げて攻めかかると、わずか八千の軍勢なので、三万ほどの大敵に骨身を砕いてせりあったが、信玄の旗本に攻め返され、敗北した。  家康は慌てることなく小姓衆を討たせまいと思われ馬を乗りまわされ、兵を丸くして退かれた。」

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