かつて福岡市と北九州市では西鉄が路面電車を運行していました。22年前に県内から路面電車はなくなりましたが、車両は改造され、北九州市と直方市を結ぶ筑豊電鉄が運行を続けていました。市民の記憶に残り鉄道ファンに愛されてきたこの車両が7日、惜しまれながらの現役を引退しました。
◆通勤・通学客であふれた路面電車
ダークブラウンとベージュが映える車体。ラストランを迎えた「筑豊電鉄2000形」です。福岡県内で路面電車が走り始めたのは100年以上前。西鉄が1910年に福岡地区、1911年に北九州地区で運行を始めました。1983年に西鉄の子会社、筑豊電鉄に入社し当時、路面電車を運転していた荒木恭文さんは、自動車と並走して路面を走行していた時のことを今も鮮明に覚えています。
筑豊電気鉄道運輸車両課・荒木恭文助役「6車線あるでしょ、その真ん中二車線に下り、上りがあった。渋滞していますもんね、それを右折とか左折とか避けながら電車が走っていくといういのが一番難しい」
多くの通勤・通学客であふれかえっていた路面電車ですが、自動車の増加に伴い、福岡市内では1979年、北九州市内では2000年にその役目を終えました。路面電車の一部は、車両を改造され「筑豊電鉄2000形」として八幡西区と直方市を結んでいたのです。
「2000形」ではベルの音や手動の行き先表示など路面電車だった頃の名残も感じることができました。
◆唯一の残存車両は「ハーフ&ハーフ」
荒木助役「1両目、そして奥の3両目、これが福岡市内線を走っていた2両連接車。そこを半分に切って真ん中の部分を北九州市線で走っていた部分を持ってきてつなげた」
福岡市と北九州市で走っていた別々の車両を組み合わせた3両編成の「2000形2003号」。最大で7編成あった「2000形」で7日まで運行を続けていた唯一の車両です。
荒木助役「この電車は長いから制動距離が普通の電車より長くてブレーキの効きがとても悪い、重たいし長いし、この電車に乗るときは緊張する車両だった。そういうのを経験して一人前になる。懐かしいですね」
荒木さんが苦楽をともにしてきた「2000形」ですが、老朽化には勝てませんでした。
荒木助役「この車両と一緒に歩んできたので寂しくなりますね。巡り合わせで私が運転できるようになったので、最後のありがとうという気持ちを思いながら運転したい」
◆改造に次ぐ改造、お疲れさまでした!
ラストランの7日を迎えた「筑豊電鉄2000形」。特別運行の始発駅となる楠橋駅には「2000形」の最後の姿を目に焼き付けようと、多くの鉄道ファンが駆けつけました。
運転を予定していた荒木さんですが、新型コロナウイルスの濃厚接触者となり、無念の自宅待機に。別の運転士がレバーを握りました。かつての路面電車のように多くの客を乗せて走る「2000形」。普段通りに「筑豊直方駅」で折り返します。出発から約1時間後、別れを告げるブレーキ音を響かせながら終点の「黒崎駅前駅」に無事到着しました。
ラストランの乗客「小さい頃小学校の時に通学に使っていた電車。福岡から北九州にきていろいろな改造を施されて、それをずっと見てきたのでとても寂しい」
ラストランの乗客「日本の高度成長を支えてきた車両。やっと引退ということで本当にお疲れさま、よく頑張ってくれたという感じ」
長年の歴史に幕を下ろした「2000形」、その活躍の姿は、多くの人々の心に残り続けるはずです。