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一人哲学|なぜ話の「オチ」を求めてしまうのか?

一人哲学 21 lượt xem 1 day ago
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皆さんは、どんなように思考を巡らせましたか?是非コメント欄をご自由にお使いいただき、お寄せいただけますと幸いです。

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#哲学 #哲学対話 #考えることが好き

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【今回の文字起こし】


00:00:01
さあ、ということで皆さんこんにちは。こんばんは。おはようございます。一人哲学のお時間がやってまいりました。今回も皆さん聞いていただきましてありがとうございます。今回もゆっくりと深い海に潜るように、空高く自由に飛ぶように、いろいろな思考を巡らせていきましょう。ということで、今回のテーマが。人はなぜ話のオチを欲しがるのか、話にオチをつけたがるのか、話のオチを求めてしまうのかみたいな話ができればなと思っておりますので、皆さん楽しんでいただければなと思います。さあ、皆さん、今の心身の感覚はいかがですか?
00:00:52
ゆっくりと自分の目をつぶって、体、心、どんな状態か考えて感じてみてください。そして、ゆっくりと呼吸しながら聞いていただければなと思います。話の落ち、まあ、これは結構関西とかでよく聞くと思うんですけれども、まあ、その人は話の落ちを求めますよね。そもそもこう話の落ちっていうのは。なんで必要なんでしょうね、話の落ちとはとは思いますけれども、なんかこう、人が話し始めたら、で、結局何なの?みたいな。で、結局どういうことが思い浮かぶの?とか、結局何が言いたいの?とか、そういうあのものを求めてしまう現代人がすごいいるなって思っていて。
00:01:46
まあ、それって一体何でなんだろうなって思って、今回考えたいなっていうふうに思っております。で、もしかしたらあれですよね。こう人はなんかなんて言うんだろうな。急いでいるというか。なんかこう話す時とかもたくさん喋りたいって思ってなのか。それともこう時間が経つのがもったいないなのか、早くいろんなことをしたいなのかわかんないけれども、人はものすごくたくさんのことを一度にしようとしているからこそ、話の落ちを求めてしまうんじゃないかって思ったんですよね。うん。まあ、いわゆるせっかちな人が多いから、話の落ちを。
00:02:40
なんか求めてしまうんじゃないかなって思って。でもなんか関西とかは違いますよね。こう、なんか面白さみたいなところで、で、オチはみたいな、そこの、なんかこう、話のオチを求める風潮があるなって思って。僕ずっと関東だったんで、ちょっとその文化はわかんないんですけれども、でもこう話のオチを求める文化っていうのは、なんかこう、哲学とは相反するような気がしていて。哲学ってどっちかっていうと答えのない。話を延々とすることを考えること、それ自体を楽しむこと逆に話のオチを求めるって事は、まあ話の中で答えを求めるっていうことですよね。これめっちゃ面白いなあと思って。
00:03:24
その答えのないはずの会話なのに、会話に答えを見出そうとする。そして、会話の答えを面白さみたいなところに置こうとするような行為って、まあすごい言葉遊びというか。まあ、人間ならではのことなんじゃないかなって僕は思って、すごく新鮮な気持ちになったんですよね。うん。で、やっぱりどうしても自分自身の中でこう辛いこととか苦しいこととかがあった時に、まあそれを吐き出したいだけっていう場合もあると思うんですよね。で、そういう時にで、話の落ちは。みたいな風に言われても困るとは思うんですけれども、でも、それでもこう人は、なんかこう話し始めると、何かまとめようとしたりとか、なんかこう話を。
00:04:17
結果をつけようとしたりとか、そういう会話の方法をとっているなって思って。これってなんでなんだろうなって思いません?皆さんどうですかね。こう、会話のオチ、話のオチっていうのは、その会話をまとめようとするなんか作用みたいなものだと僕は思うんですよね。そのいわゆるまあ。僕が今こうやって哲学対話している中でも、一つの文章ごとに、一つの文言ごとに、まあ何かまとめようとしてますよね。うん、それがすごい違和感だなっていう。なんか、例えばみかんを食べた。
00:05:02
それでみたいなみかんを食べただけだと、会話って成り立たない話って成り立たないの?みたいな。なんかそういう話もあるなって思って。それがすごい不思議なんですよね。うん、なんかこう、人はいつから結果を求めてしまうようになったんですかね。最近僕、短歌とか詩とかを読むようになったんですけれども。短歌とか詩とかも、やっぱりその話の落ちとか、最後のまとめみたいなものがあるんですよね。うん。だからこう、その文化はもしかしたら平安時代とか、そういうところからずっとずっと続いているものなのかもしれないですよね。そしたら面白いですよね。めちゃめちゃうん。
00:05:47
だからこう、人は自分自身の中でどうしても揺るがないものとか、どうしても考えたいものとか、どうしても貫きたいこととか、何か何だろうな、ブレない何かがあるからこそ、その話のオチをつけたがるっていう。まあ、それはすごい。うん、会話をする側としてはちょっとプレッシャーですよね。めちゃめちゃうんでも、こうどうなんですかね。話のオチって本当に必要だと思います。なんかこう。友達と喋ってる時とか、信頼できる人と話してる時とかって、話の落ちとかってあんまり気にしてないんじゃないかなって思ってて。なんか言葉遊びなんですよね、結局、話の落ちって、今自分が会話しているものをどうやってまとめ上げていこうか、こう最初ぐわって膨らんで、それをどうやって縮めてまとめていこうかみたいな、そういうビジュアルの感覚が思い浮かんでいるんですけれども、まあそれがすごい。
00:06:45
なんか不思議ですよね、会話の中で。うん、まあ、皆さんは逆に会話する時ってどういうこと?考えてます?自分が話し始めるとき、僕は常に次の言葉を考えているかもしれない。うん、次何しゃべろうかなとか、次何話そうかなとか。その時に話していることは、勝手に口から出てくるから。だから、その次の会話、その次の話のことを考えているかもしれないなぁ。皆さんはどうですか?なんか全然何も考えていないっていう人もいれば、逆になんかそういう。
00:07:26
まあ、まとまりみたいなものを考えている人もいるんじゃないかなって思って。それはすごく面白いことというか。まあ、難しそうだなって思いますよね、一見すると。うん。でも僕たちはまあ勝手にやれてますよね。その勝手にできているというか。まあなんだろう、力を入れずとも。その自分自身の中で、できないこととか、できることとか、いろんな話をする中で、まあうまくまとまるように話しているっていう、そこの能力というか、なんだろうね、理性みたいな理性が働いているのかな。もしかしたら僕たちの中でこう会話っていうものは縮こませないとダメっていう理性が働いているんですかね。そうじゃないと関係性が発展しないとか。
00:08:23
なんで人は結果を求める生き物なんですかね。うん、結果がすべてみたいな風潮、結構ありません。社会的に結果までの過程はすごくどうでもよくて、結果がすべてみたいな。結構社会人の方とかで多いなって思うんですけれども、なんかそれってどういうところから生まれるんだろうなっていうのはめちゃめちゃ思ってますね、僕は。うん。なんかそこがすごい気になるなぁ。僕たちってやっぱりどうしても、うん、上の空で話すことって、なんかかっちりしてる前ではできないですよね。緊張して何しゃべってるかわかんないってなったとしても。でも本能的に話をまとめようとするから。まあだからなぜ話の落ちを求めるのかって言われたら。
00:09:24
まあ、結構生き急いでる人とかが話のオチを求める印象はありますね。生き急いでるっていうか、なんかその時間がないような感じな匂いがする。人とかがそういうものを求めている印象はありますよね。じゃあ、こう話のオチを求めることっていけないことなんですかね。でも、そんなこともないですよね。うん、悪いことでもない気がする。すごく大事なことですよね。やっぱりこう人は話している上でわかりやすさとか伝わることっていうのがまず大前提で大事だからこそ、その伝えるためにはやっぱりまとめ。
00:10:00
ないといけないですから。話のオチを求める行為っていうのは、ものすごい大事なことかもしれないですよね。そう考えたら、まあでも、やっぱり人生の中で話のオチを求められた経験っていうのは、まだあんまりないですけれども。その会話をまとめようとしたりとか、もっともっとわかりやすく言おうとしたりとか、ちょっと待って、今まとめるわっていう。まあ、言葉にすると純度が下がるんですよね、その感情の。なんか、その言葉にすると、この頭の中でもやっとある感情をこう固めて出してる感じがあって、そのままの自分の感情ではないんですよね。
00:10:46
ちょっと待って、今言葉にするわって思うけれども、いや、言葉にしないでそのまま伝えたいって思いません?なんか、この感覚とか、自分が感じている感覚、そのなんて言うんだろうな、セラピーのような、この癒しのような、そういう感じている感覚をそのまま伝えたいっていう衝動に僕はなるんですよね。言葉にするだけで純度が下がる気がするんですよね。なんかいろいろ。そう考えたら、話のオチっていうのは、もしかしたら心とは真逆な存在というか、心の動きとは全然逆を言っている可能性もありますよね。うん、めちゃめちゃ面白いですね。なるほど。皆さんはどんな感じで考えましたか?考えてますか?
00:11:33
まあ、考えてなくても全然なんでもいいんですけれども。まあ、ここで一度、心身の状態をチェックして、まあ頭から足先までいろいろ順を追ってチェックしてみてください。どんな感覚ですか?ちょっと緩んできましたか?少しね、緩んできたら大きく深呼吸をしてゆっくりと。ええ終わっていきたいと思います。ということで、毎週水曜日土曜日21時から哲学対話ユーチューブライブやっておりますので、皆さんぜひそちらも奮ってご参加いただければなと思います。ということで、今回の哲学対話。
00:12:09
一人哲学は終わっていきたいと思います。皆さん、最後まで聴いていただいてありがとうございました。また次回の一人哲学でもお会いできることを楽しみにしております。チャンネル登録ぜひ宜しくお願い致します。じゃあまたね。

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