「親孝行」と「人助け」
兵庫県在住 旭 和世
「旭さん、お腹の赤ちゃんに異常がみられます。すぐに大きな病院へ行ってください」
「え?…」信じ難い言葉が聞こえてきました。4人目の子どもが授かり、7カ月検診の時でした。
翌日、県立こども病院の診断で「お子さんにはかなり重度の障害がみられ、『18トリソミー』という病気だと思われます」と知らされました。
「18トリソミー?」
聞いたことのない病名に唖然とする私たち夫婦に、病院の先生は続けて、「産まれてこられるかどうかも分かりません。産まれてくることが出来ても、一歳まで生存できる可能性は一割です」と仰いました。説明を聞けば聞くほど、だんだん目の前の景色が色を失っていくように感じました。
帰ってから調べてみると、染色体に異常がある病気で、流産、死産となる可能性が高く、生まれてきても生命予後は厳しいと書かれていました。そんな言葉の数々に胸が張り裂けそうで、一気に不安が押し寄せてきました。
それまでは元気な子を3人授かっていたので、何の疑いもなく元気な子が産まれてくるだろうと思っていました。まさに青天の霹靂でした。私は「何か自分の通り方が悪かったんだろうな。何がいけなかったんだろう…」と、自分を責めるようなことばかり考えていました。
そんな中、主人がおぢばから帰ってきた日に、「今日、神殿のかんろだいの前でふと、自分たちに必要な親孝行と人助けの心を神様が促してくださっているような気がして、赤ちゃんの名前が浮かんできた」と言い、お腹の子の名前を「親孝行」の〝孝〟と、「人助け」の〝助け〟という文字をとって、「孝助」と名付けてくれました。そして、何とか産まれてきてほしいと夫婦で願い続けました。
をびや許しを頂き、親神様のご守護のもと、孝助は小さな小さな体で産まれてきてくれました。しかし、重度の障害があるため、すぐにNICU・新生児集中治療室に運ばれ、保育器の中での治療が始まりました。
自発呼吸ができず、口から呼吸器を挿管していたので、哺乳をすることもできず、搾乳機で絞った母乳を管から胃に送り込んでいました。これまでとは全く違う育児に、母親であっても何もしてあげられない無力さを感じました。
まさか自分が重度の心身障害児の母親になるなど想像もしていなかったので、不安やとまどいの中、必死で毎日を過ごしていました。そんなある日、私は数カ月前の出来事を思い出しました。
その日はおぢばがえりの日でした。神殿までの砂利道を歩いていると、尊敬するS奥さんに偶然出会いました。
「奥さん、お久しぶりです!お元気ですか?」
「あら、和世ちゃんに会えるなんて! ちょうどよかった。はい、これよかったら聞いてみて!」
奥さんは一枚のCDを手渡してくださいました。
急なプレゼントに戸惑いながらもお礼を言い、教会に戻りすぐに聞いてみました。すると、ある養護学校の先生のお話が流れてきました。障害を持つ子どもさんのことを新たな視点で伝えてくれる内容で、今まで聞いたことのない素晴らしいお話でした。
この時もらったCDは、きっと神様からのプレゼントだったのでしょう。「今からあなたに障害を持つ子を授けるから、大事に育ててほしい」と言われたような気がして、この出来事は決して偶然ではなく、必然だったのだと思いました。
神様のお言葉に、
にんけんハみな/\神のかしものや なんとをもふてつこているやら (三 41)
とあります。
自分の体が神様からお借りしているものなら、我が子も神様からお借りする命。そんなかけがえのない命を、障害があるという理由でネガティブに捉えていた自分が恥ずかしくなりました。
今ここに置いて頂いている我が子の命を、親である自分自身が喜び、今日一日を過ごせたことを神様に感謝申し上げることで、この子の人生は幸せで有意義なものになると思いました。
そして、親孝行と人助けからとった「孝助」という名前の通り、親に安心してもらえるよう、また、自分のことよりも人様のことで動かせてもらえるようにと、我が子を通して教えて頂いたおかげで、内向きだった心がだんだんと外に向き、尊い、嬉しい、楽しい毎日になっていきました。
思い返せば、私たち夫婦の結婚式の日、祝辞でこんなお話をして頂いていたのです。
「人生には、上り坂、下り坂、そして、まさか!という坂があります。どんな坂道も、夫婦で心を合わせて親神様・教祖の教えを芯に乗り越えていってください」
私はその時、「上り坂、下り坂は何となく想像できるけど、『まさか』ってどんな坂なんだろう?」と思い、そのフレーズが心に残っていました。
その「まさか」という坂を、今まさに通らせて頂いているんだなと実感していました。祝辞の言葉通り、教えを芯にしていなければ、きっと起こってきた出来事に戸惑い、迷い、落ち込み、到底喜びいっぱいの毎日など送れていなかったに違いありません。
CDを頂いたことも結婚式の祝辞も、私たちが教えを芯に通らせて頂けるように、神様が先回りをしてちゃんと道をつけて下さっていたのだと思うと、なおさらその親心を有難く感じ、心が温かくなりました。
そして驚いたことに、CDを下さったS奥さんご夫婦が最初に授かったお子さんが、孝助と同じ18トリソミーだったことを後に知り、本当に鳥肌が立つほどびっくりし、神様のお取り計らいに胸がつまる思いでした。
その後も、S奥さんご夫婦はもちろんのこと、たくさんの周りの方々が励まし、寄り添ってくださいました。それは私たち家族にとって本当に心に沁みる優しさであり、教祖のぬくもりのようでした。
私も、神様のよふぼくとしてお使い頂けるなら、こんな風に人に寄り添いたい。そして、私がしてもらったように、先が見えない真っ暗なトンネルの中でも、足元に灯りを照らし、共に歩かせてもらえるような人になりたいと思いました。
その後、孝助は2歳を迎える直前に出直しました。孝助が小さな身体で精一杯「生きる喜び」や「人のぬくもり」を伝えてくれたこと、たとえ歩けなくても、話せなくても、その存在そのもので親孝行をしてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
孝助の誕生、生きた日々、出直しの中で、教えに何度も救われました。
おふでさきのおうたに、
いかほどにせつない事がありてもな をやがふんばるしよちしていよ (十五 8)
とあります。
このお言葉は、思いもよらないことにぶつかり、切なかった日々、倒れそうな心をいつも支えてくれました。少しずつ前を向けたのは、親神様にもたれ、教祖のひながたから勇気を頂き、たくさんのたすけ心にふれたおかげでした。本当に、この信仰をつなぎ続けてくださった親々に感謝ばかりです。
これからも、孝助の存在は私たち家族の心にずっと残り、親孝行の本当の意味や、人助けの素晴らしさを伝え続けてくれると思っています。
元こしらえた神
この世界はどのように創られ、私たち人類はどのように誕生したのか。それには私たちの想像を絶するような、何か大きな力が働いたことには違いないのですが、ではそこに何らかの意思、思わくは働いていなかったのか。働いていたとすれば、それはどのような存在によるのか。その「元」をたずねることこそ、この教えの神髄なのです。
天理教の原典『おふでさき』に、次のように記されています。
このよふのにんけはじめもとの神 たれもしりたるものハあるまい (三 15)
どろうみのなかよりしゆごふをしへかけ それがたん/\さかんなるぞや (三 16)
このたびハたすけ一ぢよをしゑるも これもない事はしめかけるで (三 17)
いまゝでにない事はじめかけるのわ もとこしらゑた神であるから (三 18)
この世界と人間を創めた元の神の存在を、誰も知る者はいないであろう。そもそも、ものの形が何もない泥海の中から、神が雛型と様々な道具を寄せて人間を造り、なすべき働きを教えられ、それが長い年月を経て、段々と発展してきたのである。
このたび、神は世界たすけの真実の道を教える。それも未だかつてない、誰も知らなかったことを明らかにしていこう。それは他でもない、この人間世界を創めた元の神だからこそ実現出来るのである。
日々の暮らしにおいて、何より頼りになるのは「元の親」の存在です。「もとこしらゑた神」である親神様のお声を頼りに、陽気ぐらしへと通じる道を迷わずに歩いていきたいものです。
(終)