山梨岡神社の太々神楽より
保食命(うけもちのかみ)
平成25年4月4日撮影
小さなマイクロフォーサーズGX1で撮影。レンズはH-FS014045。
出かける時は大げさにならず写真も動画も撮れ、いつも持ち歩いています。
ただこの日はファインダーも老眼も忘れてしまいピントが確認できませんでした。諦めてオートフォーカスで撮影。オートフォーカス普段使わないので逆に設定が良くわからない・・でピントは時々迷っています。液晶見ながら困ったなと思うばかりでした・・
コントラストが強いのはカメラの設定の加減。
面、綺羅その驚くべき洗練に見とれました
舞、篠笛、太鼓は実に穏やかで厳しく美しいです
これが山梨この地に伝承され守られる神楽
日本中にこんな人たちが居るわけです
神楽殿のそばまで屋台が来てますので発電機の音がちょっと入ってしまいます。あと楽は何人かで交代しますので他所での練習の音も多少入っています。
----------------------------------------------------
山梨岡神社の太々神楽は武田信玄出陣に際し勝利を祈願し奉納された神楽と伝えられる
昭和42年 山梨県指定無形民俗文化財に指定される
以下はネットよりの参照
【 神話での記述 】(http://www.weblio.jp/wkpja/content/保食神_保食神の概要)
天照大神は月夜見尊に、葦原中国(あしはらのなかつくに)にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。
【 あしはらのなかつくに 葦原中国 】(http://kotobank.jp/word/葦原中国)
記紀の伝承において,この地上が高天原(たかまがはら)から見て地下の黄泉国(よみのくに)との中間に位置しているためにつけられた神話上の名称。〈葦原〉とは葦の葉がざわざわと無気味にさわぐ未開の地を示し,荒ぶる国つ神が蟠踞する混沌とした無秩序の世界であった。そこはまた人間生活の中心地に対する野蛮な周辺部でもあり,死者が住むとされた山や原始林地帯との中間の地でもあった。だからこそ〈天孫〉によって平定されるわけであるが,その際にこの中国を代表する舞台として〈出雲〉が選ばれたのは,出雲国が聖なる中心地である大和からみて日の没する西の辺境に位置したからであり,神話的には黄泉国に接するとされたからである。
【 つくよみのみこと 月読尊・月夜見尊 】(http://kotobank.jp/word/月読尊・月夜見尊)
日本神話の神。伊弉諾(いざなき)・伊弉冉(いざなみ)の子。夜の食国(おすくに)あるいは滄海原(あおうなばら)を統治する神とされる。