『令和6年 秋の特別公開 京都御所 宮廷文化の紹介』に行ってきました😃
京都御所は、常時 拝観することができますが、春と秋の特別公開では、日ごろ公開されない建物も拝観することができます。
今回は、紫宸殿と清涼殿、そして「朝餉の間」「御手水の間」の調度品の展示がありました。
ただ、展示はすべてガラスを通してだったので奇麗な写真を撮ることはできませんでした💧
(これが〝現実〟、あるいは〝現場の臨場感〟と、受けてとめてくださると助かります💦)
さて、動画では、説明しきれなかった部分を 下記にまとめておきます😅
☆清涼殿の「石灰壇(いしばいだん)」
向かって左前方にある白い屏風の前は、床が白く、「石灰壇(いしばいだん)」と呼ばれます。
ここから天皇は、毎朝、伊勢神宮や「かしこどころ」など 遠く離れた場所へ祈りを捧げられました。
この白い漆喰が地面まで通じていることから、そこで祈りをささげることは、地に降りて行うことと同じであるとされたそうです。
☆朝餉(あさがれい)の間、御手水(おちょうず)の間
・朝餉の間
清涼殿の西庇 (にしびさし) にある、天皇が食事をする部屋。
御膳や更衣のための畳敷きの御座(南向き)。
・御手水の間
天皇が毎朝、御手水をお使いになった所。
御手水を召される大床子(だいしょうじ)の御座(北向き)。
☆滝口の武者(ウィキペディアより)
滝口武者(たきぐちのむしゃ)は、9世紀末頃から蔵人所(くろうどどころ)の下で内裏の警護にあたっていた武士。滝口の武士ともいう。
その蔵人所の元で、天皇の在所・清涼殿の殿上の間には官位四位・五位の殿上人が交代で宿直する。
一方、庭を警護する兵士は清涼殿東庭北東の「滝口」と呼ばれる御溝水(みかわみず)の落ち口近くにある渡り廊を詰め所にして宿直したことから、清涼殿警護の武者を「滝口」と呼ぶようになる。
またこの詰め所は「滝口陣(たきぐちのじん)」などと呼ばれる。
(天皇の近くで働くため、誰でもがなれるというわけではなく、10人から30人がその定員だったようです。
ちなみに、この滝口武者は紫式部が書いた『源氏物語』の「夕顔」
清少納言が書いた『枕草子』54段(あるいは53段)にも
描写があります。
特に、『枕草子』の中では、
皇后 定子が清涼殿の〝弘徽殿の上御局〟にあがっているときに、清少納言が近くで控えていて見聞きしたような記述であり、ひときわ面白さを感じます😄)
☆深曽木(ふかそぎ)の儀(ウィキペディアより)
深曽木の儀は、皇族男子が数え5歳になると行われる皇室の儀式。
1964年(昭和39年)11月1日に行われた浩宮徳仁親王(後の第126代天皇)の際は、次のように進行した。
男児は、童形服に白絹の袴を身に付け、右手に檜扇、左手に小さな松と橘の枝を持って、式場の中央に置かれた碁盤の上に立つ。
東宮大夫が髪に櫛を入れ、和鋏で男児の毛先を切り揃える。
そして、男児は盤上の2つの青石を踏みしめた後、「エイッ」と叫んで碁盤から飛び降りる。
石を踏むのは禊、飛び降りるのは大地に足をしっかりつける意味とされる。
衣服と髪形を整え、元気に碁盤から飛び降りることで、幼児から児童に成長したことを示す儀式である。
「深曽木の儀」が終わると、その姿のまま宮中三殿を参拝する。
これは、一般の七五三における宮参りにあたるものとされる。
☆左近の桜について
8世紀末の平安遷都の際には、外来種として珍重されていた梅が紫宸殿の前に植えられましたが、9世紀中ごろ(第54代仁明天皇の時代)に在来種である桜に植え替えられたとのこと。
いま植えられているのは山桜とのことですが、日本を代表する花が変わったことも興味深いですね。
☆京都御所の場所について(パンフレットより)
京都御所は、明治維新まで天皇のお住まいでした。
桓武天皇が、794年に奈良の平城京から平安京へ都を移されたときには、御所はここから西方へ約2km離れたところにありました。
が、たびたび火災にあい、その都度、貴族の邸宅を仮の皇居とされ、それは「里内裏(さとだいり)」と呼ばれていました。
現在の京都御所も、そのうような里内裏の一つでしたが、1331年の光厳天皇(こうごんてんのう)のご即位以来、1869年に東京に移られるまでの約500年間は、この場所が天皇のお住まいとなりました。
その間、建物は、火災などにより何度も建て直されましたが、
現在の建物は、1790年に江戸幕府の老中=松平定信が総奉行となって建てた御所を
1854年4月の大火後に、元の通り復元したもので、
孝明天皇(こうめいてんのう)と明治天皇がご使用になりました。
明治天皇は、明治2年(1869年)に17歳で東京へお移りになりましたが、それまでに京都御所は、王政復古の大号令、五か条のご誓文の発布など、幕末から明治維新の歴史的舞台となりました。
京都御所の建物は、江戸時代に建築されたものですが、
主要な建物は、当時の歴史研究を踏まえ、平安時代の建築様式としたことに特徴があります。
京都御所の面積は、約11万㎡、周囲は約1400m。
門の外は、江戸時代は公家の屋敷街だった場所で、
現在では「京都御苑」という名前の公園になっています。
京都御苑まで含めた面積は、約92万㎡、周囲は約4kmです。
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