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あなたはどんなジュースが好きですか?

DOYUSHAVIDEO 789 3 months ago
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あなたはどんなジュースが好きですか? 埼玉県在住  関根 健一 先日友人と、ある映画の話題になりました。その映画は、無肥料無農薬の自然栽培で野菜を作っている隣町の農園を題材にしたドキュメンタリー映画でした。 その農園では従業員やパートスタッフに混じって、「研修生」と呼ばれる人たちが作業を手伝っています。近頃、自然栽培という言葉を耳にすることも増えてきましたが、まだ日本の野菜の流通量の0.1%にも満たないそうで、この新しい農法を学びに、全国各地からたくさんの人が研修生としてやってくるのです。 その中には、農家になるのが目的ではなく、仕事漬けの人生に疲れてしまい、「土に触れながら自分の人生を見つめ直したい」との理由で研修を受けに来る人もいて、そこで働く人の姿は実に多様です。その参加者たちに寄り添いながら、自らも一緒に成長していく農園経営者の姿に心を打たれた映画監督から、ドキュメンタリー映画を撮りたいと声があがったのです。 実は、この映画には私と長女も出演しています。というのも、映画の題材となった農園の経営者Aさんは、私の長女が通う特別支援学校の「現場実習」の受け入れをお願いした方で、その時にちょうど映画の撮影が入っていたのです。特別支援学校の現場実習とは、障害のある生徒たちが、職場や福祉作業所での体験を通じて、本人の適性や相性などを見極めることを目的にした制度です。障害の種類や程度にもよりますが、長女が通う学校では、高等部に上がると一つの現場に一週間ほど通って実習を行います。 一般企業への就労を目指す生徒は、受け入れてくれそうな企業に実習を受けに行くのですが、長女のように生活のほとんどの場面で介助が必要になる生徒は就労が難しいため、卒業後には生活介護事業所と呼ばれる福祉サービスに通うことが多いのです。そうしたサービスを提供する場所は地域でも限られているので、現場実習は多くの場合、卒業後に通う福祉施設の「お試し」のようになってしまいます。 しかし、在学中、5回に分けて延べ10カ所で行う現場実習のすべてを「卒業後に通えそうな施設」だけで考えるのは、可能性を狭めているようで、とてももったいないことではないかと感じていました。 そう感じるようになったきっかけは、まだ長女が小学校低学年の頃にさかのぼります。情報通信技術を使った障害児支援について研究されている、ある大学教授の講演を聴いた時のことでした。 その先生は、聴講に来ていた我々、障害のある子の保護者に向かってこう問いかけました。 「お子さんに、オレンジジュースとリンゴジュースどっちがいい?と聞いて、リンゴジュースと答えたら、この子はリンゴジュースが好きな子なんだ、と思っていませんか?」と。 多くの保護者がうなずく中で、先生はこう続けました。 「その子は、ぶどうジュースを飲んだ経験がありますか? グレープフルーツジュースを飲んだ経験がありますか? 障害のある子の選択肢は、支援する人が提示した物の中に限られてしまうことがほとんどです。失敗も含めて、自ら選び経験する場を与えてあげること。その子が本当に好きなものに出会えるかどうかは、支援者によるところが大きいのです」と。 これを聞いて、ハッとしました。それ以来、私たち夫婦は、長女の現在の「できる、できない」を基準にするのではなく、長女の「やりたい」ことを基準に考え、「できた、できなかった」という体験に触れさせることで、自ら選択し、決定する力をつけてあげられるように心がけてきました。 話は戻って、長女が高等部に上がり、現場実習のあり方に私が疑問を感じ始めていた時のことです。 Aさんの農園で障害のある子供たちの農業体験の企画があり、そこでアドバイスをして欲しいと依頼され、参加しました。その時、障害児の親御さんたちの細かな要望に対して、まずは「できること」を前提に前向きに話すAさんの姿を見ていて、「この農園なら現場実習をお願いできるんじゃないか」と直感しました。そこで、「娘の現場実習を受け入れてくれませんか?」とお願いしてみたところ、Aさんはその場で快諾してくださいました。 その後は、Aさんの農園で受け入れの承諾をいただいたことを学校に相談し、進路担当の先生や担任の先生を交えて、現場を見ながら打ち合わせという流れになります。 校長先生から「保護者が実習先を見つけてくるなんて、珍しいことなんですよ」とビックリされましたが、進路担当の先生は常に実習の受け入れ先の企業探しに奔走しているので、学校としてはとてもたすかると喜んでくださいました。 長女は車椅子に乗っているので、もちろん一人で畑作業などはできませんし、介助をするに当たっても、農場や作業場にはバリアフリーの環境などほとんどありません。話し合ってみると課題はたくさんありましたが、Aさんはじめ農園のスタッフ全員が、「どうやったらできるのか?」を徹底的に考え、準備を整えてくださいました。 さらに、Aさんは実習が始まってからも「悠里ちゃんはどうしたい?」「次は何をやってみたい?」と常に長女の希望に寄り添い、それが実現できるように最大限の工夫をしてくださいました。 実習に入って数日経ったある日のこと。農園に着くなり長女が突然、「お芋掘りしたい」と言い出しました。するとAさんはすぐにスタッフと相談して、サツマイモ畑の状況を確認し、「じゃあ、これからお芋掘りに行こう!」と言って、ゴザを数枚持って畑に向かいました。 畑に着くと、もちろん車椅子では畑に入れないので、スタッフが途中まで掘って頭が見えてきたサツマイモの横にゴザを敷き、付き添いの先生が長女を抱きかかえるようにして座り、後ろから手を添えて長女に蔓を握らせ、一緒に引っ張りました。 するとサツマイモが芋づる式に…と、絵に描いたようにはいきませんでしたが、大きなサツマイモが〝ごろん〟と土の中から出てきました。その時の長女の嬉しそうな笑顔は、今でも忘れられません。 その日の実習が終わり、帰りの挨拶をした時、Aさんが「悠里ちゃん、自分で収穫した野菜をおうちの人に食べてもらうまでが実習だよ」と言って、その日収穫したサツマイモを長女に持たせてくださいました。  うちに帰ると、さっそく神様にお供えして、夕飯に家族みんなで食べました。家族が「おいしい」と言うたびに、「悠里がとったんだよ」と誇らしげに答える姿がとても微笑ましかったのを覚えています。 私の何気ない思いつきから始まり、ドキュメンタリー映画に記録されるというおまけもついた、農園での現場実習。今でもふと、私がAさんの名前を出すと、長女は「メガネのAさん?また会いたいなあ…」と言って嬉しそうな顔をします。彼女にとって、忘れることのできない貴重な体験だったのだと思います。 近年、AIの発達や社会状況の変化によって、「将来必要とされなくなる仕事とは」などと、メディアに取り上げられることがよくあります。しかし、仕事には生産性以外にも、「生きがい」という大事な役割があります。 生産性ばかりに目を向けていると、障害のある人の持つ秘めた力になかなか気づくことができません。彼らの可能性を発見するためにも、様々な選択肢を用意し、「できた」「できなかった」という体験を重ねることが必要です。 障害のある人たちの体験の場は、まだまだ少なく、受け入れてくださる企業も足りていないのが現状です。もしかすると、あなたの職場がその一端を担える場所になるかもしれません。これをきっかけに、そんな風に考えてくださる方が増えることを願っています。 心のあり方を整える 信仰生活とは、ただ眼に見える世界に生きるのではなく、眼に見えない世界とのつながりを意識しながら生きることだと言えます。たとえば、木を育てる場合でも、幹や枝の伸び具合、花の色合いを見ているだけでは、立派な木に育てることはできません。地中に深く張っている、かくれた根の部分に十分心を配る必要があります。 私たちの生活についても同じことが言えます。ともすれば私たちは、形あるものの様々な変化の中だけで物ごとを判断し、行動することに終始してしまいがちです。 天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、直筆による「おふでさき」で、次のように記されています。   月日にハどのよな心いるものも  このたびしかとわけてみせるで (十一 6)   どのよふな心もしかとみているで  月日このたびみなわけるでな (十一 7)   口さきのついしよばかりハいらんもの  心のまこと月日みている (十一 8) 見抜き見通しの月日親神は、たとえ人間がどのような心遣いをしようとも、すべてを余すところなく見分け、その是非善悪を明らかにする。ゆえに、ただ口先だけで追従を言ったりするようなことは断じていらない。親神はすべての者の心の誠を、しっかりと見ているのである。 隠れている世界に眼を凝らし、弛むことなく親神様の思召しを求めていく。そのような生き方を、私たち人間にきっぱりと求められているお歌です。 私たちが成すべきは、目に見える形を整えるよりも、まずは心のあり方を整えることです。その意味では、口でお世辞を言いながら、心の中で舌を出すような「口先の追従」などは、最も慎むべきことと言えるでしょう。 (終)

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