日本大学芸術学部の文芸学科と放送学科によるコラボ作品です。
MADE IN NCHIGEI のオーディオブックを是非お楽しみください。
読み手:中尾衣里(映画学科卒業生、大沢事務所所属)
作者:福田奈央「ラジオと、君と、あの頃と。」(文芸学科2年)
制作:高橋陸人、山口諒(放送学科1年)
監修:茅原良平(放送学科教授)、高野和彰(文芸学科専任講師)
放送学科ホームページ:https://www.art.nihon-u.ac.jp/education/department/broadcast/
文芸学科ホームページ:https://www.art.nihon-u.ac.jp/education/department/literature/
*所属、学年は2024年度時点での情報です。
以下、本作の原文を掲載しています。テキストでもご鑑賞ください。
「ラジオと、君と、あの頃と。」
世田谷区の、オンボロの小さいアパートで、二歳から一七歳まで過ごした。
二階建てのアパートで、階段をのぼるとき、いつもギシギシ音が鳴るもんだから怖かった。
一階は比較的お年寄りばかりが住んでいて、笑うと金歯がのぞくじぃさんやお線香の香りがムンムンするおばあさんが住んでいた。
そのアパートの二〇一号室でアタシはいつもひとりでちゃぶ台の上にA4のノートを広げていた。時計の音と、アタシが文字を書くときのカリカリという音だけが響いていた。
両親は、共働きだったから、アタシはいつも一人だった。
五時のチャイムと同時に、誰かが階段をのぼってくる気配がする。
アタシは、足音をきいただけで、アイツが、マコトが、これから部屋にくることを確信する。
「‥‥‥ただいま」
「ん」
「六時になったら帰るから」
「ん」
「今日委員会も部活も休みだったんだね」
「ん」
「もしもし、きいてる? ミーコ」
それどころじゃない。数学の宿題は明日までなんだから、というのは建前でわざと気のない返事をしているのかもしれなかった。
アタシは、実は恋するオトメだったりするからさ。
「もしもーし」
「ミーーーーーーーーーーーーーーーーーーーコ!」
あまりにドでかい声を出すので思わず顔をあげた。
「うるさい」
もうちょっとトゲのない声で、応えた方がよかったかな、なんて後悔する。
「なんだよ、冷たいんだから。また、ラジオのネタ考えてたの?」
そんなことを言いながら、アタシのとなりにどかっと座り込む。
アタシは、マコトが来た瞬間からショート寸前の頭を冷やそうと必死になっている。
ためしに、学校に持っていった水筒の残りの麦茶を一気飲みして身体ごと冷まそうとしたけれどさっぱり効果はなかった。
「ねぇ、“ミーコ”なんて呼ぶの、アンタだけなんだけど」
「いいじゃんか。ミーコ。俺、好きなんだ。ミーコのことミーコって呼ぶの」
「もう、高校生なんだから‥‥‥ヤダ。こどもっぽい‥‥から」
「ミーコ、ミーコ、ミーコ、ミーコ、ミーーーーーーーーーーコ!」
一歳から同じ保育園に通う幼なじみは、いつの間にかオトナの声になっていた。
今朝おろしたばかりの白い靴下はとっくに洗濯機の中だ。
それなのに、靴下をずぅっとはいてるみたいに足がムズムズした。
マコトから甘い柔軟剤の香りがして、なんだかめまいがした、気がした。
「なんで制服着たまんまなの? スカート、シワになるよ。ブレザーもあついんだから脱げばいいのに」
妙に大人びた雰囲気でマコトがいう。
マコトのクセに生意気だ。
幼い頃はアタシの方が背が高かったし、給食だってよく食べたし、かけっこだって早かった。
いつから、アタシはマコトを見上げるようになったんだろう。
いつから、マコトの声に毎度心臓を揺さぶられるようになったんだろう。
「マコトが来たから、着替えられなかったの!」
「あっそう‥‥それはごめん。でも、“今日ウチに来て”っていったのはミーコじゃんか」
「そうだけど、こんなタイミングで来るマコトが悪い」
「自分勝手だなぁ‥‥学校でもそうやって強気でいればいいのに」
「学校とウチは違うの」
「そういうもんかなぁ‥‥で、なんで呼んでくれたの?」
「‥‥暇だなぁと思って」
嘘、そんなの嘘だ。
ちょっと、言いたいことがあった。
「ホントに、それだけ?」
「‥‥うん」
「そっか」
「ねぇ、ミーコ、ラジオ聴こうか」
「‥‥いきなりなに」
「ミーコ、ラジオオタクじゃん」
「オタクってほどでもないわよ」
「じゃあ、きくけど、今きいてる番組は?」
「えっと、まず“ナイツザ・ラジオショー”でしょ、あと“高田文夫のビバリー昼ズ”と、“三四郎のオールナイトニッポンゼロ”と‥‥‥」
「はい、ストップ! 立派なオタクだよ」
「なんか、ミーコ、元気ないからさぁ。そういうときは趣味が一番効果あるよ。多分‥‥」
「それに俺、ミーコがラジオ聴いて笑ってるとこ見るの好きなんだよね」
耳がカッと熱くなる。ここで、黙りこんだらまずい気がした。
髪をいじくりながら、ぶっきらぼうに言ってみる。
「なんで」
「うーん‥‥愛かなぁ」
「はっ?」
「愛してるから? ミーコを」
「‥‥バカ‥‥そういうのは、好きな人に言うモンだよ」
恥ずかしすぎて、心がとてつもなくかゆくてアタシはラジオをつけた。
どこかの知らない二人組が、“この愛は、はじまってもいない”と歌っていた。
「そうそう‥‥まだ、はじまってないんだよ、俺たちの愛はさ」
「なにそれ、イミわかんない」
「うーん、なんかうまく言えないけど、もう少し大人になったらさ‥‥」
「大人になったら、なによ?」
「ミーコのこと、ちゃんと口説くからさ。それまで、待ってて」
「‥‥普通に引く」
「えー! なんでだよ⁉ 意外とキマッてただろ」
「んなわけないでしょ‥‥アタシは、もっと、もっとカッコいい人と恋するにきまってる」
「‥‥振り向かせてみせる。絶対‥‥どう? キュンときた?」
アタシは思いきりアイツの背中をひっぱたいた。
ワイシャツ越しに左手に感じたマコトの熱は今でもときどき、アタシの心を悩ませる。
「もう、六時じゃん。帰んなきゃ。また明日もさ、一緒に聴こうよ、ラジオ」
なんでもない顔でうなずいてみたけれど、もう、マコトとの明日なんて二度とないことをアタシは知っていた。
アイツが帰った日の真夜中、アタシは父親と母親と、この街を、このアパートを離れた。
マコトとラジオなんか聴けないのだ。
もう、過去の人なのだ。
それなのに、何度もなんどもマコトの声が頭の中で再生されて、いやだった。
アタシは何度か瞬きを繰り返し、あくびをするふりをした。
父親と母親にはアタシの涙なんか、気づかれたくなかった。
あれから一度も、アイツとは会わないけれど、ふとした瞬間に思い出す。
マコトのがさがさの手とか、ちょっと汚れてた運動靴とか、アパートの玄関の色の剥げた感じとか、あの日ラジオを聴きながら半分に割って食べた肉まんの味とか、そういうあいまいな想い出の中で息をする。
もう取り返しのつかないもやもやとした、それでいて、とても暖かい時の河を渡る。
“あの頃のアタシ”を忘れた頃に、アイツの気配は忘れられない。
声も、顔もぼんやりしているのにあざやかだ。
私の時計は、あの時のまま。
ラジオからきこえる笑い声に、二人で一緒にはじめて耳を傾けた季節におきざりのままだ。
ラジオのスイッチを入れると、あの頃のアタシたちが全然知らなかった番組がやっている。
マコト、聴いてますか? きこえて、いますか?
たぶん、永遠に応えられることのない問いをラジオに向かって投げかけてみたりなんかする。
風の香りはあのときのもの。
「ねぇ、ラジオ聴こうか」
夢の径(みち)をたどってポツンと消えてしまう、いつかの季節のアイツの言葉がアタシの胸をよぎる。
もう一回だけ、もう一度だけ、言ってくれたりしないだろうか。
あてもなく吹く風の中、お元気ですか?
アンタのとなりでくたばりたいなんて思ったこともあったのに、あったけど、ひとり、ラジオを聴く夜です。
おわり