1959(昭和33)年5月16日
新宿末廣
で収録。
わたくしが生まれて1週間後に
のんきに父は新宿で、
これを収録していた模様です。
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8代目 春風亭 柳枝(しゅんぷうてい りゅうし)
1905年12月15日 - 1959年10月8日)は、
戦後活躍した東京の落語家。
本名は島田勝巳。出囃子は『三下り鞨鼓』。
来歴・人物
東京本郷の生まれ。音曲師である4代目柳家枝太郎の子。温厚篤実な性格で、何を言われても「結構です。」と言うので「お結構の勝っちゃん」と呼ばれた。客に対しても丁寧な物腰で語る芸風に人気があった。ただ、それは平時のときであり、酒が入ると一変。酔うと(酒が入っていない時の物腰の柔らかさとは裏腹に)人格が変わって荒れるのが欠点だったと言う。
入門から睦会所属だった。1937年の睦会解散後、落語協会に入会した。(春風亭小柳枝襲名をめぐるいざこざで、日本芸術協会(会長柳橋・三木助師弟)とのわだかまりがあった)。
若いころに、当時の人気若手5人で「五大力」という会を結成していた。戦後は自宅に稽古部屋を作って育成に尽力。
略歴
1921年 - 3月、高等小学校卒業後4代目春風亭柳枝(当時は華柳)に入門、枝女太(しめた)と名乗る。
1922年 - 5月、同名で二つ目に昇進。
1923年 - 1月、睦ノ太郎と改名。
1925年 - 4月、8代目春風亭柏枝として真打昇進。
1932年 - 春風亭小柳枝を襲名するはずが、断念させられる。
1934年 - 11月、柳亭芝楽に改名。
1943年 - 3月、8代目春風亭柳枝を襲名。
1959年 - 9月23日、ラジオ公開録音で『お血脈』を口演中に脳出血で倒れ、10月8日日比谷病院にて死去。奇しくも師匠4代目柳枝もNHKのラジオ口演中に脳卒中で倒れていた。また、実父の柳家枝太郎も脳溢血で倒れたことがある。
得意ネタ
高砂や
宗論
王子の狐
野ざらし
甲府い
熊の皮
子ほめ
のめる
花筏
宮戸川
ずっこけ
花色木綿
など。
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』