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日本の音楽界の裏側を紹介します!
今回は、CAROLについて♪
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CAROL(キャロル)は、1970年代に活動した日本のロックバンド。
1972年に結成し同年デビュー、1975年解散。
メンバー
矢沢永吉(やざわ えいきち、1949年9月14日 - )
ベース・ボーカル担当でバンドのリーダー。広島県広島市出身。
多くの作曲を手掛けた。
ジョニー大倉(ジョニー おおくら、1952年9月3日 - 2014年11月19日)
サイドギター・ボーカル担当。神奈川県川崎市出身。
本名の大倉洋一名義で多くの作詞を手掛け、
「ロックに日本語の歌詞を乗せる」というスタイルを確立させた。
内海利勝(うちうみ としかつ、1953年5月30日 - )
リードギター・ボーカル担当。神奈川県鎌倉市出身。
神奈川県立柏陽高等学校時代にエリック・クラプトンに憧れてギターを始め、
もっぱらクリームなどのブルースロックを演奏していた。
関東学院大学進学後、セミプロのバンドで活動していた頃にキャロルに参加。
解散後はイギリスのレゲエバンドThe Cimaronsとのコラボレーションでアルバムを発表。
いち早くレゲエのリズムを取り入れるなど意欲的で「たわごと」「鏡の中の俺」がヒットした。
原田芳雄のバックバンドのギタリストを務めたこともある。
2012年には矢沢のデビュー40周年記念公演にゲスト参加しており、
現在もblues file No.1やソロで活動している。
ユウ岡崎(ユウ おかざき、1951年12月14日 - )
ドラムス担当。東京都豊島区出身。
キャロルのデビュー前はいくつかのアマチュアバンドやセミプロバンドで活動していた。
初顔合わせの時、メンバーに
「YOUたちなんかやってるのは、アレでしょ。ロッケンロールでしょ?」
と言ったことから芸名が「ユウ岡崎」となった。
元メンバー
今井茂利(いまい しげとし)
ドラムス担当。結成からデビュー前まで在籍。後にダンガンブラザーズに参加。
相原誠(あいはら まこと)
ドラムス担当。ユウ岡崎が2ndシングルを録音後に離脱したため、
代わって正式メンバーとして加入した。
3rdシングルの「やりきれない気持ち / ホープ」のみを担当。
その数ヵ月後に岡崎が復帰した為、入れ替わりで脱退となった。
デビューシングル録音時は岡崎、発売時は相原がメンバーなので、
どちらを初代ドラマーとするかは認識がわかれるところである。
後にダウン・タウン・ブギウギ・バンドに参加。
2020年4月13日、虚血性心不全のため逝去(68歳没)。
猿山(サミー)幸夫
サイドギター担当。元乱魔堂ベーシスト。
ジョニー大倉が失踪中であった1974年初頭の2ヶ月弱のみ在籍。
後に大倉のバックバンド「ジョニー&ダーリン」にベーシストとして参加。