木崎良平著「【ルーシ】という語の意味に関する歴史的一考察」(学位論文 京都大学 1964年)によれば、【ルーシ】という語の意味する内容は、ロシア社会の歴史的転回の過程で、次の様相を呈した。一系統を示すわけでないが、列記すると次のようになる。①首長・盟主(5C)、②赤い(8C)、③実在の集団(10C)、④ノヴゴロドを中心としたノルマン国家(11C)、⑤種族的意味→キエフ政治的・地理的意味→正教的意味へ展開、⑥北東ロシア地域に拡大(14C)、⑦いつの時点でも、「ルーシ」は東スラヴ人という「種族的・民族的意味」をもったことはなく、その語は、元来「種族的にはノルマン人を意味したに違いないと思われる」。
そのような内容の本書がもつ意義として、18-19世紀ヨーロッパに登場する「ナショナリズム」の東ヨーロッパ的形成過程を明らかにしている点がある。ようするに、本書で検討された【ルーシ】および近隣語【ルテニア】【ロシア】は、のちのスラヴ世界における一地方(土地・人・文化)を指すに過ぎなかったが、やがて18世紀以降東スラヴ世界を統合する「種族的・民族的意味」=ネーション・ステート【ロシア】の意味内容を獲得するに至ったということなのである。
そのような仮定は、イギリスにおいては18世紀の三王国戦争の前後に確認できる。すなわち、イギリスでは、歴史的にみて【イングランド】【スコットランド】【アイルランド】が並立して存在したが、例えばチューダー朝では、ネーションとは主権保持者、限定された上部階層を意味していたが、三王国戦争中に支配階層以下に拡大していく。その過程で【イングランド】がネーション・ステートの位置を獲得していく。つまり、ネーションなる語は、プレ・ネーション的な郷土的概念から本来のネーションに展開していったと考えられる。
ところで、【ルーシ】なる語も、これと似たような展開をみせたのではなかろうか。よって、19世紀初に輪郭をはっきりさせた【スラヴォフィル(スラヴ愛国主義)】と【ザパトニキ(西欧主義)】の対立における両者は、ともに近代的な思想・思潮であって、とくに前者は、初期に存在したと仮定して私が造った語【ルッソフィル(ロシア原初主義)】とは別物であったことになる。なお、近代的なナショナリズム以前の、あるいはこれと対立する郷土愛的な思想・思潮を、私は【パトリオフィル】という語で括り、議論してきた。