故・小枝守前硬式野球部監督の「拓大紅陵とわかる応援曲を」の声に、オリジナル応援曲作曲に取り掛かった吹奏楽部の吹田正人先生は、1985のレッツゴー紅陵を皮切りに毎年応援曲を作曲。
その数は2019年までに40曲を数える。
そんなに毎年作らなくても?の声にも「その代の選手たちのために」と今でも欠かさない。その間に硬式野球部は92年夏の甲子園で準優勝を果たした。
当時は主流ではなかった投手分業制で計4投手が勝ち投手となった記録は2020年現在でも破られていない。
そして当時の高校野球応援は早稲田のコンバットマーチや慶應のダッシュKEIOなどの定番応援曲で溢れていたが、オリジナル応援曲がまだ珍しかったこの時代にレパートリーのほとんどをオリジナル応援曲で占めていた拓大紅陵は、一見稀有な存在と見られていた。
時は流れ2020年。
今では強豪校の多くが、オリジナル応援曲を引っさげ甲子園に登場するようになった。
メディアで取り上げられる回数も増え、空前の応援ブームとなっている。
その先駆的な役割を果たしたのは、拓大紅陵ではなかっただろうか。
2015年には同じ千葉県の雄、習志野高校と合同で野球応援に特化したコンサートを成功させた。
それを足かがりに今日まであらゆる地域で野球応援コンサートが開催されている。
2019年には高校日本代表の応援団をこれも習志野高校と合同で務めた。
これはまさに、日本を代表するブラスバンドの証だろう。
奇しくも、この日には小枝前日本代表監督の追悼式も行われた。
常に先見の明で、紅陵をここまで導いた小枝監督は、こうなる未来も見えていたのかもしれない。
今や、チャンス紅陵、燃えろ紅陵、狙え紅陵等は、千葉県のみならず、全国で応援曲として使われている。
中には拓大紅陵の応援曲とは知らずに使っている学校もあるほど、その浸透力はすごい。
拓大紅陵硬式野球部も、一時期低迷期はあったものの、和田孝志監督、飯田哲也コーチの下、2019年秋には関東大会に進出するなど、復活の日はそう遠くない。
小枝監督の魂も背負い、甲子園で紅陵オリジナル曲の数々が響き渡る日を心待ちにしている。
最後に、小枝監督、吹田先生、紅陵の先生方、吹奏楽部員、野球部員、野球応援に携わるすべての方々に敬意を表したいと思う。
1978 野球部・吹奏楽部創部
1979
1980
1981
1982 春より小枝監督就任
1983
1984 (春①夏①甲子園出場)
1985 レッツゴー紅陵
1986 チャンス紅陵 (春②夏②甲子園出場)
1987 メイプルパワー、カットバセ、ヴィクトリー
1988 證誠寺の狸囃子 (夏③甲子園出場)
1989 タイムリー、青天の覇者
1990 勝利のテーマ、木更津甚句
1991 燃えろ紅陵
1992 チャージ紅陵 (夏④甲子園出場(準優勝))
1993 スピリッツ
1994 ウイニング
1995 ファイター
1996 スラッガー (春③甲子園出場)
1997 ゴーゴーメイプル
1998 シャウト
1999 ヒートアップ
2000 狙え紅陵
2001 行くぞ紅陵
2002 攻めろ紅陵 (夏⑤甲子園出場)
2003 ジャストミート
2004 レッツゴー紅陵(re.) (春④甲子園出場)
2005 紅陵ボンバー
2006 深紅の誇り
2007 勇者紅陵
2008 レッツゴーチャージ
2009 シビックパワー
2010 ビクトリーシャウト
2011 GO FOR IT
2012 メイプルファイター
2013 ノッテけ紅陵
2014 GO FIGHT 秋より澤村史郎監督就任
2015 オッサ紅陵
2016 ストロング
2017 紅陵ムーヴ
2018 メイプルマッチョ、ダイナマイト
2019 メイプルハイパー 秋より和田孝志監督就任