【阿倍野の昭和】阿倍野橋歩道橋の昔、近鉄デパートの屋上遊園・・再開発事業は地方自治体最大の失敗?すぐ隣には旧遊郭街、飛田新地。新旧混合の阿倍野の街とは一体?その歴史
木造建築が密集していた阿倍野地区。3000人の地権者と交渉し、事業計画策定まで21年。42年かけて完成した阿倍野再開発事業は、2000億円の赤字を抱え、その負の遺産はすべて税金、毎年120億円で補填されています(令和14年まで)。そのあべのハルカスを含む再開発エリアのすぐ隣には、大正時代から続く、飛田新地。飛田新地を囲っていた「嘆きの壁」はなぜ築かれたのか?
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