飯田は中山道沿いではありませんが、愛知から内陸の塩尻まで塩を運ぶ三州街道沿いにあったため城下町は宿場として栄えたそうです。栄えていたのであれば当然その手の店もあったのでしょう。明治以降、飯田には遊郭ができました。
1882年に上田市二本松に遊郭設置が許され12軒の妓楼ができたそうです。1918年ころには遊女が130人を超えていたんだとか。つまりかなり大人気スポットだったようです。
当時の飯田の人口は2万人程度。それにもかかわらず公娼私娼合わせて500人近くいた飯田の色街。2万人のうち半分が女性と考えた場合、人口の5%が商売女だったってことです。さらに芸妓もいたわけですからその辺に歩いている女、大体夜の仕事している人だったようで「飯田の町は女の町」と言われていたんだそう。しかも阿部定も20歳の頃に飯田の三河屋って店で働いていたそうです。
出典:https://real-hunter.com/machi/20250101.html
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