【小机城】説明。歴史に登場したのは、長尾景春の乱のうち1478年に起きた攻守戦である。山内上杉家の家宰であった長尾景春が、父の死後に家宰職を相続できなかったことに端を発し、主家に対する反乱を起こした。このとき景春の味方をした豊島泰経が小机城に立てこもり、敵方の太田道灌が攻撃をした。この時、道灌は近くの集落の松の大木の下に腰掛け、「小机はまず手習いの初めにて、いろはにほへとちりぢりとなる」と歌を詠んで味方を鼓舞した。程なく、鶴見川対岸の亀の甲山に陣をとって落城させた。
その後この地域が後北条氏の勢力下に入ると北条氏綱公の手により修復され、家臣の笠原信為公が城代として配置され、小机衆が組織された。笠原氏は、小机城を中心に付近の村に僧侶を招き寺を建立するなど城下の整備に力を注ぎ、その後城主は北条氏堯公、北条氏光公と替わっている。豊臣秀吉による小田原征伐の際には、無傷のまま落城した。その後、徳川家康公の関東入府のときに廃城とされた。
#小机城
#北条早雲
#伊勢宗瑞
#北条氏康
#北条幻庵
#北条氏堯
#続日本100名城
#横浜市
#城
#港北区
#小机城址祭り
#竹灯篭祭り
#小机
#城郭
#歴史
#相模の獅子
#徳川家康
#どうする家康?
#北条五代を大河ドラマに
#お城EXPO
#お城好きな人と繋がりたい
#歴史好きな人と繋がりたい
#日本
#歴史
#城
#YouTube
#YouTuber