昔乗った雷鳥2号からの車窓風景です。
あまり、ナレーションはしません・・・・・っと言いながら、なんやかんやと喋ってしまいました。
昔は、近江塩津と湖西線の永原の間で、交流と直流の切り替えが行われていました。そして、昔の交直両用電車は、切り替えの時、北陸本線では、特急でも電気が消えたのです。夜になると、車掌が、
「まもなく、電源切り替えのため、車内の室内灯が消えて暗くなります、貴重品などお手回り品には、十分ご注意ください」
と放送が入り、蛍光灯が消え、豆電球になるのでした。
でも、私は、夜でも外の風景が良く見えるこの瞬間がとっても好きでした。
友達に話をすると・・・・・
「サービス悪いやん!」
の一言でした(笑)
京都での113系との並走もいつものように行われていました。
でも、昔は、雷鳥よりも新快速ブルーライナーの方が速かったのです。
いや、速いダイヤになっていたために、速かったのです。