日本野球25人私のベストゲーム (25th Anniversary Sports Graphic Number 創刊25周年記念出版)でイチロー選手が選んだ実際のゲームです。
1991年7月29日 全国高校野球選手権 愛知大会準々決勝 愛工大名電 VS 中京
「ベストゲームねえ。そんなの、存在しない(笑)。まず、今の僕にはベストゲームという概念がないから。どのゲームだってベストになり得ません。だって必ず何かが欠けてしまいますから。もちろん、常にベストにしたいと思っていますよ。でも、そうはならない。野球って、そういうゲームだと思いますね」
「だから僕にとってのベストゲームだとは言えないんですけど、印象に強く残っているゲームがあるんです。それは高校3年の夏、愛知県大会でベスト8まで勝ち進んで、そこで中京と当たったんですけど、あのゲームですね。あの試合は僕にとってはとんでもなく意味の深いゲームでしたから、すごく印象に残っています」
その年の夏、センバツに出場していた名電は、4番鈴木一朗を中心とした強力打線で5回戦までをほとんどコールドゲームで勝ち上がってきた。一方、名門・中京も大会ナンバーワン右腕の木村高司を擁して、準々決勝までの5試合をすべて完封勝ち。夏春夏の3季連続甲子園出場をめざしていた愛工大名電にとって、中京は避けて通れない強敵だった。
木村の好投で中京が2-0とリードした表、愛工大名電は1点を返し、なおもランナー一塁で、これまで打率.722を誇っていた、4番の鈴木一朗。1-1からの3球目にライトへ高々と舞い上がるツーランホームランで3-2と逆転に成功した。
「正直にいえば、あの夏、僕の目標は甲子園に出ることじゃなかった。高校に入る前から、プロになることを第一に考えていましたし、モチベーションが他の選手とはまったく違っていたと思います。みんなは力を合わせて甲子園に向かっていけるでしょう。でも僕は一人でプロという強大な世界に向かわなければならない。そんなこと半端な気持ちじゃできないんですよ。だから一つでも多く勝って、自分のプレーをスカウトの人に見せたかった。準々決勝で終わるわけにはいかなかったんです。僕がスカウトにも覚えてもらうようになったのは、あの逆転ホームランからだったと思います」
1991年夏の愛知県大会での鈴木一朗の記録は28打数18安打、打率.643 ホームラン3本。このバッターをプロが見逃すはずもなかった。
「実はもう一試合、雨でノーゲームのなってしまった中京との試合がある。途中まで中京が勝っていた...(中略)あの雨がなければ、ひょっとしたら僕はプロに行けなかったかもしれない。だから、僕にとっては大きなゲームだったんです。だって、あそこで僕の野球、終わっていたのかもしれないんですからね。もし僕が野球をやっていなかったらとしたら何もない。うーん、何が残りますかね...ホント、何もないよね。
そうやって考えると、あの雨が僕の運命を変えたのかもしれません。どちらかといえば僕、運命って信じる方だし、(運命の神様にも)僕を選んで、といつも思っていますけど。
僕が出ていた愛知県大会のテレビ中継を当時の中日の山崎武司(高校の先輩)がウチの中村(豪)監督にこう言ったらしいんですよ。「落合(博満)さんが、アイツはすごいって言ってましたよ」って...。本当かどうかは知りませんけど、これにはアツくなりましたねぇ。すごく励みになりました。それを思うと、もし僕の今の立場で高校生に声をかけてあげられたら、それはものすごい力になるかもしれないと思うんです。だから、17歳の僕にも、こう言ってあげますよ。お前、打つことはすごいなって(笑)」