藤原道兼、道長ともに道隆の中関白家に対して不満を抱えており反抗的な態度を取っていましたが、道隆の病を契機に、道兼の息子の加冠役を道長が務めることで公然と反旗を翻しました。
多くの貴族の支持を得ていた道兼、女院として権力を持つ詮子と仲の良い道長が組んだことで道隆死後の関白の座は道兼に渡り、中関白家は権力の座を失います。
道兼は関白就任から7日で亡くなり道長が権力者となりますが、道長は後見役として道兼の子 兼隆の世話を見続けるなど、2人の絆は続いていきます。
今回は、中関白家の栄華を終わりに導くこととなる藤原道兼と藤原道長の関係について紹介します!
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参考文献
山本淳子『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか (朝日選書1039)』
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安西廸夫『歴史物語の史実と虚構―円融院の周辺』
https://amzn.to/3TShe50
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【画像引用】
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【目次】
01:11 藤原兼家生前の藤原道兼と藤原道長
06:01 藤原道隆全盛期の藤原道兼と藤原道長
10:41 藤原道隆死去時の藤原道兼と藤原道長
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