イギリスのエリザベス女王は、ヘンリー王子とメーガン妃が王室から事実上離脱することを認めた。緊急のロイヤル・サミット(王族会議)の直後に女王は二人の決断を「理解し尊重する」との声明を発表。事態の早期収拾を図った格好だ。この女王の即断・即決の背景をテレビ東京前ロンドン支局長の豊島晋作が動画を交えて緊急解説する。
エリザベス女王は現実主義者だ。今回の女王の即断の背景には、混乱の長期化を避け、王室の安定を守っていくという現実的な判断があった。タブロイドなどマスコミへの怒りも強いヘンリーと、昼ドラの女優からの成功を掴み取り、トランプ大統領への批判もいとわないメーガン。女王は早い段階で、この意思の強い二人の考えを変えるのは難しいと判断していた可能性がある。混乱がこれ以上長引き、王室への批判的な声が高まることは許容できない。そんな女王の冷静な判断が早期収拾へとつながっている。さらに女王の声明には、二人はもはや公的な資金に依存しないという趣旨の一文もしっかりと入っている。イギリス世論は二人の離脱に理解を示しつつも、公金のこれ以上の支出には反対しているので、女王の決断はまさに人々の気持ちをくみ入れた中身になっている。
今後の二人の警備費用や税金などの問題など積み残された課題はあるが、大きな方向性としての決断は下された。今回の問題はイギリスのEU離脱=ブレグジットにちなんで、メグジット(MEGXIT:メーガンたちの離脱)とも呼ばれるが、だらだらと長期化し混乱したブレグジットとは異なり、メグジットは早期の収拾が図られた格好だ。
今回、事態の収拾を図ったエリザベス女王だが、過去には大きく世論を読み違え、国内で大きな批判を浴びた過去もある。1997年にダイアナ元王妃が交通事故で死亡したとき、なかなか弔意を示さなかった際には「冷徹な女王」として激しく非難され、王室の支持率は30%台まで低下。王室不要論も台頭した。しかし、最終的には当時のブレア首相の助言を受け、エリザベス女王は、ダイアナへの弔意を公に示し、史上初めてバッキンガム宮殿に王旗を半旗で掲げることを受け入れている。結果として女王に対する世論の支持は回復していった。この出来事を通じ、女王は世論とともに歩む必要を痛感したとされる。いわばダイアナの死が女王を変えたのである。
今回、自由に生きるという決断を下したヘンリー王子はそのダイアナが愛した息子だ。人々と直接触れ合ったり、病院で出産するなど王室の慣例を数多く破ってきたダイアナ。今回、そのダイアナの面影をエリザベス女王がつい思い浮かべたとしても不思議ではないだろう。
今回の出来事は、民主主義社会で王室制度がいかに存続するかを考える意味でもやや興味深い出来事と言える。歴史的にイギリス王室は、生き残るためには、名を変え、親族をも見捨ててきた過去があることを思い出す。もともとイギリス王室はザクセン・コーブルク・ゴータ家というドイツ系の家柄だ。しかしエリザベス女王の祖父にあたるジョージ5世は、第一次世界大戦で敵対するドイツの名を冠するのはまずいと判断し、名前をウィンザー家に変えている。特に大戦中の1917年、ドイツの爆撃機がロンドンを爆撃し、多数の子供たちが殺されたが、このときの爆撃機の名前がまさに王室の名と同じ「ゴータ爆撃機」だったのが決定的だったと言われる。またジョージ5世は同じ1917年、王室の生き残りを考え、親族を見捨てるという冷徹な決断もしているが、動画ではこの決断についても解説している。
さて、一方のヘンリー王子とメーガンの決断の背景には何があったのか。これは次の動画で解説する。
#エリザベス女王#ヘンリー王子#ハリー王子#ハリー#メーガン妃#メーガン#メグジット#王室#王室離脱#豊島晋作#ダイアナ
▼豊島晋作のテレ東ワールドポリティクスは「テレ東BIZ」で配信中(入会月無料)▼https://txbiz.tv-tokyo.co.jp/world?utm_source=youtube&utm_medium=meta&utm_campaign=world_yt_VH1DIAFJ62A