三重県熊野市は、黒潮の恵みで、多くの魚が獲れる熊野灘を望む町です。その熊野灘は、300年以上の歴史を持つ「サンマ漁発祥の地」でもあります。
ところが、“サンマのまち”からサンマが消えたのです。水揚げ量は、5年前、突然ゼロとなり、20隻以上あったサンマ漁船も数隻になりました。
サンマ漁師・濱田徳光さん(72):「また来るんじゃないかなと期待して、3年も4年も経ってしまった。いまは、あきらめるしかない気持ち」
熊野灘からサンマが消えた理由の一つに挙げられるのが温暖化です。太平洋の広い範囲に生息しているサンマは、秋にかけて、日本近海を南下し、冬に、熊野灘周辺やその沖合で産卵します。しかし、近年、温暖化などによって回遊が沖合に移り、熊野灘にサンマが来なくなっているといいます。
番組は、水産庁からデータを入手しました。水産庁は、日本沿岸で、大きさ1、2センチほどのサンマの稚魚の数を調べ、毎年、記録してきました。2020年には、ほとんどいないことが明らかになりました。
サンマの回遊が沖に移ったことで、産卵の場所も沖に移ったのではないか。そして、それが、サンマの減少につながっているのではないか。
水産研究・教育機構の冨士泰期研究員:「産卵場が変わるということは、稚魚が育つ環境も変わってしまう。非常に憂慮している」
どういうことなのでしょうか。
サンマ漁最盛期を迎える北海道。今や、サンマは、荒波を越え、3日以上かけて、沖へ行かないととれないそうです。
サンマ漁師:「ここ10年ぐらいを見るなら、魚の量自体は減ってきている。間違いなく」
サンマ漁師:「少ないなかのサンマをみんな競争しながらとっている」
燃料代をかけて遠い公海まで行かなければならず、採算が取れないという声が多く聞かれました。
水産研究・教育機構の冨士泰期研究員:「産卵場が沖合中心になると、サンマの稚魚にとって、生き残りがよくない条件が何世代も続いてしまう可能性があって、非常に憂慮している」
つまり、産卵場が沖合になると、エサや水温の問題で稚魚が生き残りにくく、サンマ減少の“負のスパイラル”に、すでに陥っているかもしれないというのです。
水産研究・教育機構の冨士泰期研究員:「サンマの資源は東西に広く分布しているので、ここだけですべてを語ることはできないが、日本に近い海域の資源量は少ない傾向が続くのではないか。(減少の理由を)明らかにするには、産卵場で稚魚がどのように生まれて、どのように生き残っているのかを研究する必要がある」
熊野灘のサンマ漁師、濱田さんの暮らしも変わりました。
サンマ漁師・濱田徳光さん(72):「ほぼ毎日だった、サンマは。とれているときは、ご飯のおかずに。もういまないから。さんま寿司も、サンマはほかのところから取り寄せてもらう。この地になくてはいけない魚だった」
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