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【日ごとの糧:聖書からのひとこと】2025年2月11日

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【日ごとの糧】(ローズンゲンによる)  2025年2月11日 あなたたちは不正な裁判をしてはならない。 あなたは弱い者を偏ってかばったり、 力ある者におもねってはならない。 同胞を正しく裁きなさい。 (レビ記19章15節) わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの 主イエス・キリストを信じながら、 人を分け隔てしてはなりません。 (ヤコブの手紙2章1節) ***** エコ贔屓をしないこと、どう考えても不正、不当な取り扱いにしか見えないような 裁判はしてはならないこと。 人を分け隔てしないこと、つまり差別しないこと。 これらのことは「言葉」として大切な事例として 頭に入っていても、現実的にはさまざまなエコ贔屓や 偏ったグループ分けや極端な差別的反応が社会の中で またSNS上などで常態化しているような気がします。 自分が、罵倒され、軽蔑的な言葉を投げつけられたら、どういう気持ちになるか、 直接その事例に関係ない家族もいると思われるその人が、見ず知らずの人たちから 極端に激しいヤジのような投稿にさらされる状況に、ご家族は耐えられるのだろうかと 考えると胸が苦しくなってきます。 まるで「公開リンチ」のような惨状があふれているようなきがします。 イエス様の重要な命令がいくつかありますが、「裁いてはならない」という ものと「愛し合いなさい」という二つは突出しているように思います。 裁判官は仕事上、裁くことをしなければなりません。しかし、神様から 求められる責任や報いは深刻なほど大きいと思います。 また、私たちも誰に対して「断罪したり裁いたり」するなら、 やがて蒔いたものを刈り取る日が来るのではないでしょうか。 私たちは必ずしも、議論に勝つことばかりを考えることなく 自分にも、相手にも、神様の祝福があるように祈り、自分にも相手にも 神様が善悪を見極める力をお与えくださるようにと願い、祈ることができたら良いと思います。 そして、自分は淡々と自分の心に信じたところに立てれば良いのだと思います。 自分の考えと違う人、違う宗教、違う意見の人がいても、その人のいのちと存在は 神様に赦されてそこに置かれているはずなので排斥したり排除してはならないのだと思います。 今朝は聖書の言葉からそんなことを心につよく感じ取らせていただきました。 ***** 歌は「God Bless You」

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