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江戸時代以降の長州藩 毛利家 260年間抱き続けた徳川への恨み

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関ヶ原の戦いによって中国地方8カ国の太守の座から、防長2カ国の国持大名に転落した毛利家。 大坂の陣では豊臣方に密かに内通したり、江戸城登城を拒否したり、江戸時代に入っても毛利家の反徳川の姿勢は貫かれました。 やがて毛利家の反骨精神は、尊皇攘夷、倒幕へのエネルギーに転換され、明治維新を成し遂げる原動力となります。 今回は、江戸時代を通じて、毛利家の長州藩はどのような道を歩んだのか、明治時代以降、毛利家はどうなったのか、紹介します。 尊皇攘夷一筋だった長州藩は、なぜ水戸藩と違って倒幕に考えを切り替え、明治維新を成し遂げられた? 『幕末雄藩列伝』(角川新書) https://amzn.to/3v1COrt 『江戸300藩 殿様のその後』(朝日新書) https://amzn.to/3H7jBqp #日本史 #歴史

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