【放送事故?】生中継していいの? 武藤敬司「血ダルマ」事件 なぜアントニオ猪木はデビュー2年の武藤に度を超えた鉄拳制裁を加えたのか? #プロレス #格闘技 #RIZIN #アントニオ猪木
1986年11月3日、後楽園ホールでやや不自然な混成タッグ戦が実現する。メインイベントは武藤が木村健吾と組んだタッグマッチで、対戦相手はケビン・フォン・エリックとアントニオ猪木だった。
その日、もともと予定されていたのは、「藤波 vs木村」「武藤vsケビン」というシングル戦だったが、藤波が直前に負傷したため急遽マッチメイクされたカードだった。
当時、新日本のレフェリーを務めていたミスター高橋、武藤とケビンのシングルマッチにあたって、武藤に花を持たせてくれるよう、ケビンとその父の「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックに依頼している。
フリッツの答えは、完全なピンフォール以外ならばOKというものだった。このエピソードからも、武藤に寄せられていたプロレス界の期待の大きさがうかがえる。
当初の予定とは違ってタッグマッチとなってからも、最後は武藤がケビンから一本取るというシナリオは変わらなかった。高橋は、ケビンのパートナーの猪木にも「今日は、武藤がケビンから取りますので、よろしくお願いします」と試合前に報告している。その時に「分かった」と頷いた猪木だったが、その日のリングで武藤に流血の鉄拳制裁を見舞うことになる。
当時は、テレビ朝日系列で新日本プロレスが生中継されていた。毎週月曜夜8時というゴールデンタイムである。こうして迎えた最終戦。11月3日の後楽園ホールは、まさにその生中継が行われる大会で、武藤はそのメインイベントを任されたのである。
試合は荒れた場外戦となり、武藤は流血に追い込まれた。大流血した武藤にブレーンバスターでとどめを差しにかかるケビンを、うまく一瞬の首固めで丸め込む。武藤はそのままカウント3の逆転勝ちをおさめた。
試合としては当然ここで終わっている。だが、ここで猪木が動いた。大流血している武藤を立たせると「来い!」と何度も命じたのだ。向かってくる武藤の顔面に、猪木は容赦なくナックルパート、ストンピングを叩き込む。鬼の形相の猪木が武藤を一方的に痛めつけるシーンが、およそ5分間に渡って全国放送された。
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